月刊全労連・全労連新聞 編集部

主に全労連の月刊誌「月刊全労連」、月刊紙「全労連新聞」の記事を紹介していきます。

【特別公開】諸事情により月刊全労連2023年10月号に未掲載となった記事をオンライン公開します ―「保守的」だった組合が大変身! アメリカ最大規模の宅配物流業者ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)の労働組合が、ストライキを構えての交渉で要求を前進させる! 全労連事務局次長 布施恵輔

宅配便UPSでの労働組合の勝利

ストライキを構えて要求が前進

 

 米国で最大規模の宅配物流業者のユナイテッド・パーセル・サービス(UPSの労働者を代表する労働組合が、協約改定交渉と交渉に伴う運動によって大きな成果を勝ち取りました。同社の約34万人の代表者を組織している労働組合はチームスターズ労組の組合です。米国では概ね3〜5年に一回程度行われる労働協約改定交渉の年が今年、23年で年初からチームスターズを中心に運動が進められてきました。

https://www.labornotes.org/2023/08/wage-gains-ups-have-amazon-workers-demanding-more

 7月にはストライキも構えての交渉に入り、90年代以来初めてのストライキが行われるのではないかという報道もありました。最終的に7月下旬に暫定合意を結ぶことで合意し、8月に約3週間かけて組合員による協定の批准投票が行われました。8月3日から22日まで行われた批准投票では、暫定合意を86.3%の高水準で承認したことが発表されました。

 

民間最大級の組合の協約闘争

 

 UPSは全米最大手の宅配ネットワークを持つ大企業で、単一の民間企業の中では最大の労働者を雇用しています。34万人以上の組合員ですが、UPSを組織しているチームスターズは、米国の民間企業の中では最大の組合員数を誇ります。4月から組合は交渉に入りました。UPSは昨年も1000億ドル以上の利益を出していますが、労働者の生活は苦しいです。

 

 UPSといえばこげ茶のトラックで、多くの車両でドアのない運転席になっていて、乗り降りの時間を短くしようと標語まであります。労働者はエアコンのない車両でこの猛暑の中でも働き、過酷な労働を強いられています。しかも物価高騰に追いつかない賃金水準で、賃上げと労働環境の改善は多くの労働者の要求でした。またUSPOST(米国郵便)やAmazonなどの競合関係で、賃金の一方的な引き下げも起こっています。

 

 今回の新協約では全ての労働者を対象に23年に時給を2.75ドル引き上げ、今後5年間で7.50ドル(約1070円)引き上げることでも合意しました。非正規労働者は平均48%の賃上げとなり、正規職員(配達ドライバー)の最上位の賃金は平均時給49ドル(約7130円)になります。

 

 新しい協約ではエアコンや換気装置のついてない配達用の車両に、それらを完備すること、非正規雇用労働者の正規登用をすすめ正社員を7500人増やすことも盛り込まれました。チームスターズのオブライエン委員長は記者会見で「最も労働者の利益になる」と強調し、「全国の労働者がどのような労働条件であるべきかの基準となる重要な進歩。アマゾンなど労働者を敵視している企業は注意を払うべきだ」と、同じ業種で組合敵視を続ける大企業のAmazonを批判しました。

 

国労働運動に与えるインパク

 

 他にも今度の新協約には、他述べ国の労働組合の仲間からも注目される内容が勝ち取られています。

 

 中でも最大の注目点は、2階層賃金を呼ばれる、採用時期によって賃金体系が異なる制度が廃止されたことです。古い既存の協約の労働者の方が賃金が高く、新規に採用される人は低いという構造は、労使協調の米国労働組合の協約交渉で「現役労働者を守る」という名目で多用されてきました。チームスターズでは保守的で汚職が常に指摘されていたジミー・ホッファ委員長時代に多く導入され、UPSも例外ではありませんでした。この制度が、米国の民間企業で最大の労働者がカバーされる協約で廃止されることにはとても大きな意味があります。

 

 さらに新協約ではマーチン・ルーサー・キングJr生誕記念日を有給休暇とすること、土日の強制残業の廃止が盛り込まれました。「強制6日労働」とUPS内で言われたきたもので、週末の労働を会社の都合で決められることに労働者の間には大きな不満がありましたが、強制ではないことになりました。

 

労働者の要求はより大きい

 

 しかしUPSの労働者の要求は、今回の成果のさらに先の運動をどう構築していくかに実現がかかっています。UPSは97年に大規模なストライキに取り組み、要求を大きく実現する協約を勝ち取りました。その後前述のように保守的なホッファ委員長のもとで、UPSの協約も労使協調路線とAmazonFedExなどの組合のない企業との競争で徐々に後退を強いられてきました。今回の新協約は賃金面で大きな引き上げになり、保守的な前執行部時代に後退した労働条件を元に戻すという意味では大きな成果です。

 

 今回34万人の労働条件改善と大きな成果があったことで、他の労働者や労働組合への波及効果も大きくなります。そこで今後新たな労働条件のスタンダードを作り出していく可能性があると思います。

 

 5年に一回の協約改定があるUPSの場合、今年に改定があった事も有利な要因でした。5年前は2018年でパンデミック前ですが、パンデミックで商品の宅配の需要は大きく伸びました。物価の高騰も進み、気候変動でドライバーの労働環境も大きく変わりました。需要が高まり人手不足が進む中での協約改定は労働組合に有利、追い風だったといえます。しかし年先を見通す事もは企業にとっても困難で、協約の期間そのものを議論すべき(短縮すべき)という意見もあります。

 

5年先までにすべきこと

 

 戦略的にターゲットを設定し、多くの組合員の参加で、大規模なストライキに取り組むことが労働組合の勝利には欠かせないと言われます。今回7月上旬に協約交渉が決裂した際に、チームスターズのオブライエン委員長先頭に全国で組合員集会が組織されました。ピケを張り職場を封鎖する「練習」も各地で行われ、SNSを通じてその様子が拡散されました。このことはその後再開された交渉で、非正規労働者の賃上げ確保の後押しになったと言われています。今回の協約改定交渉のたたかいでは、ストライキに実際に入る前に暫定協約が結ばれ、97年のような全米規模でのストライキにはなりませんでした。5年後を見据えた時には、職場からの力をどのように構築するのか、今回労働条件が改善された非正規雇用のドライバーの団結をどのように構築していくのかが問われていると思います。

 

波及効果と課題

 

 特に非正規労働者(多くは時給制で働く)の賃上げが、今後Amazonなどの未組織職場の組織化に影響する可能性があります。人手不足が進んでいる米国の労働市場の影響で、アマゾンやFedExなどの労組のない類似企業でも、時給単価を引き上げる傾向にあります。しかしそれらの企業ではUPSにあるような医療保険や年金加入がなく、家族手当などもほとんどありません。労働組合が勝ち取ってきた成果を広げていくことで、組織化に道を開くことができます。

 

 米国では9月に三大自動車労組の協約が切れ、現在協約交渉が進められています。UPSに続き、社会的に大きなインパクトのある協約改定交渉が続きます。労使協調から労働者の要求実現を目指すたたかう米国の労働運動に注目です。

 

ピケッティングの略。ストライキが行われている事業所などに労働者の見張りを置き、スト破りの就労阻止、他の労働者へのストライキ参加の促進、一般人へのストライキのアピール等をする行為のこと。

 

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【緊急オンライン公開 #そごう・西武労組のストライキに連帯します】 ストライキ中の労働者には、さまざまな葛藤がつきまといます。世間から「Z世代」といわれる世代の執筆者が #ストライキやってみた。不安が頭をよぎる中でかけられた、最もうれしかった言葉とは? 生協労組おかやま執行委員 村田しんり

23春闘でのストライキを通じて感じたこと
~生協労組おかやまの執行委員になって1年目を終える若手役員より
 

生協労組おかやま執行委員 村田しんり


 世間から「Z世代」と称される私たち。定義は曖昧だが、自己の価値観を重視する傾向があり、何事にも効率重視で情報の取捨選択が得意とされる。そんな私たちが労働条件に納得できないとき、どうするか。「早々に見切りをつけて、求めるキャリアビジョンと合致する仕事へ転職する」「自分の能力を高く評価してくれる、より良い条件の職場を探す」などの選択が自然と思い浮かぶ。納得できなければ離れる、それすら億劫なら諦める、それが当たり前な世代。それでも私が労働組合を通じて声をあげ、どういうわけかストライキにまで参加するようになった経緯を述べる。

 

生協で働くということ


 私は今の仕事に誇りを持っている。スーパーが遠く、車も手放して買い物にいけない年配の生協組合員に生活必需品を届けたときの笑顔。地域に越してきたばかりのお腹の大きな女性に、生協の離乳食や子育て支援の取り組みを案内したときの安心した表情。人のくらしに関わり、ゆとりある毎日を過ごす手助けのできる、素晴らしい仕事だと思う。この生協で働き続けたい。そして共に働く全ての仲間が当たり前にゆとりある生活を営み、夢を持って働き続けられるような組織であって欲しい。しかし、相次ぐ値上げ、電気・ガス・インフラ代の高騰もあり、その「当たり前」は遠のいて行くばかりだ。


 地域の人々のくらしを支えるこの仕事を愛しているからこそ、労働条件を改善するため、行動を起こしたい。団体交渉でストライキ決行の判断をしたとき、自分でも驚くほどストライキ参加に抵抗は無かった。ただ現場で働く私にとって懸念があるとすれば、「生協組合員の目にどう映るか」という一点だった。担当配達員がストライキに打って出たとなると、代理の職員が注文商品を届けるとはいえ、不安にさせてしまう結果に繋がらないだろうか。駅前でのスタンディング中も、頭によぎるのは生協組合員の顔だった。「こんなことで生協さんは大丈夫なの?」「不安だわ」「間違いなく配達してもらわないと、生活が立ち行かない」そんな声を想像してしまう自分がいた。

 

ストライキで得た確かな手応え


 私たちの思い切ったスト行動は注目を集めた。人通りの多い駅前でのスタンディングはメディアの取材も受け、新聞・ニュース等で取り上げられる結果となった。

 あまりの反響に初参加の私は戸惑うばかりだったが、最も衝撃を受けたのは後日、生協組合員宅を訪れた際にかけられた言葉だ。いつも朗らかな方が真剣な顔をして言った。ストライキしてたでしょ。ニュースに似てる人が映って、配達に来たのが別の人だったから、やっぱり村田さんだったと分かったの。生協さんって随分待遇が良いのかと思っていたけど、本当はつらかったの? 酷い働かされ方をしてるんじゃないのよね? 私たち組合員が暮らしていけるのも、村田さんがこうして安心のコープ商品を持ってきてくれるから。そんな村田さんに苦しい想いはして欲しくない。応援してるからね」。そのような温かい応援の言葉をいくつも頂いたのである。私がどのような想いでストライキへ至ったか、伝えたいことは沢山あったが、どれも言葉にならなかった。ストライキを打つにあたって掲げた具体的な要求が達成されるより先に、確かな手応えを得ることが出来たのだ。

 

ストライキの効果、誰一人取り残さない進め方を目指して


 私個人としては非常に得るものの多い経験となり、近隣の労働組合からも良い意味で注目されるストライキとなった。しかしながら、団結してストライキに臨んだ私たちにも、一枚岩とはいかない部分もあった。ストライキ当日の早朝、県内各所にある配送事業所の門前にて出勤してくる労働者にストライキ決行中のビラを配った。この行動についても賛否があり、「深刻な欠員の中、職場の仲間に無理を言ってストライキに出ているのに、やることがその職場でのビラ配布なのか。もっと理事会に対して直接訴えるような手法はとれないのか」といった意見も挙げられた。私は、その場では漠然と「(確かに、一理ある)」と感じた。


 門前ビラ配布のメリットを再度確認したところ、①職場全体の関心を持続させる目的、②対外活動へ向け内部でパワーをためる目的の二点が重要とのことだった。しかし、議論の中でその他の利点や理屈を説明されても、いまひとつ腑に落ちない。なぜここまで感覚にズレが生じるのかと考えたとき、はじめて理由らしきものに思い至った。早朝、ビラを配りに出向いた際も、幸いなことに私の職場では皆快くストライキへ送り出してくれた。そればかりか大幅賃上げや労働条件改善への期待を込め、激励の言葉で背を押してくれたのだ。そのような環境に慣れていたため、職場の理解を得る難しさを感覚的に理解することが出来なかったのだ。深刻な欠員に悩まされる職場では、ストライキ参加で仕事に穴を開けること自体に苦い顔をされる場合もある。当然のように送り出して貰える職場ばかりではない。しかし、足並みを揃えて要求を実現するためには、全ての職場の仲間を誰一人取り残さない進め方が重要となる。そのためにも、内部の団結を高める手法は重要な役割を有していたのだ。

 

さいごに


 ストライキに参加することによって多くの学びと教訓を得ることが出来た。ストライキ決行がどのような影響を及ぼすか、どう見られるかなど不安は付き纏う。しかし明確な目的を以て行動することは、労使交渉において決定的な一手となり得るはずだ。今回の事例が私と同じ理想を抱き、同じように何か行動を起こしたいと考えている誰かの背中を少しでも後押しすることを願っている。

 

( 月刊全労連2023年7月号掲載 )

 

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【手記】『戦犯処刑された叔父─加害の「廣島」を考える』 「広島」のもうひとつの側面。戦争犯罪を「命令された」ものとして免罪する向きもある。戦犯処刑者を肉親に持つ者として、それに「ほっとする」感情を否定はできない。しかし、それではその先のことを考えなくなってしまい、「私の戦争責任」が問われるのではないか 。 広島県労働者学習協議会  橋本 和正

 岸田内閣は2022年12月16日、閣議決定で「安保3文書」を改定した。「反撃能力(敵基地攻撃能力)保有」、その反撃(敵基地攻撃)は「日米が協力して対処していく」としていることも見逃せない。軍事費は5年間で43兆円もの大軍拡、27年度に軍事費(関連予算含め)国内総生産GDP)の2%にするという。5月に開催されたG7サミットでは、岸田文雄首相は「核兵器のない世界」を掲げながら、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」を発表したが、その内容は「核抑止」に固執し、被爆者や市民の願いを踏みにじるものだった。


 戦争を起こさないための「抑止力」という考え方は、いざとなったら相手に恐怖を与える「攻撃力」とある。そのような「抑止力」で平和を作り出すことができるのか。日本の歴史は「戦争とは取り返しのできない被害を与える」ことを教えている。


はじめに


 私の叔父・橋本忠は1948年1月2日、クアラルンプールのプドゥー刑務所において、戦争犯罪者として処刑されている。28歳だった。


 私は小学生の頃、何度か祖父母や父親に連れられて、三瀧寺広島市西区三滝山)で開催される慰霊祭に行っていた。ゴールデンウィークの頃なので遠足気分で行った記憶がある。その慰霊祭とは、戦犯処刑され、あるいは刑期の途中で亡くなった広島県出身者を慰霊するものだった。


 毎年、1月2日には叔父や叔母が次々に我が家に来て、お盆の時よりも丁寧に仏壇の前で手を合わせる姿を見ていた。叔父・忠の祥月命日だと知ったのは、私が大人になってからである。父や叔父、叔母が叔父・忠を話題にすると、マラヤ、クアラルンプール、セレンバン、パリッティンギ、バハウあるいはシンガポールという地名が繰り返し出てくるので、その地名を子ども心に覚えてしまった。


 ある時、家族がそろってフランキー堺さんが主役の「私は貝になりたい」というテレビドラマを見たことがある。なぜかみんな黙ってじっと画面を見つめていた。


 祖父母や父や叔父・叔母は、叔父・忠が「戦争犯罪者」ということで一般の戦死者とは違う不名誉な影を背負い、周囲には多くを語らないまま戦後を生きていたのだろう。
 

 私は成長するにつれ、叔父・忠は戦犯処刑されたこと、それはマレー半島での出来事だと知るようになる。しかし、私は叔父・忠の戦争犯罪の詳細を知らないままに過ごしていた。


将校にあこがれていた叔父・忠

歩兵第11連隊制服姿の叔父・忠(撮影日不明)


 私の祖父母、両親は終戦まで、現在の韓国の全羅南道羅州郡金川面古洞里栄山浦(ヨンポ)に住んでいた。朝鮮が日本の植民地になった時代。私の祖父は大正の初めに、現地に入植し、広大な土地を手に入れ、農業経営をやっていた。


 現地で生まれた私の父が長男で、すぐ下の次男として叔父が生まれた(1919年6月生まれ)。祖父の「忠義」を尽くす人になれとの思いから「忠」と名付けられたようだ。叔父・橋本忠は、少年の頃から軍人・将校にあこがれていた。旧制・光州中学校(現地)を卒業すると職業軍人をめざし、陸軍の下士官を養成する熊本の教導校(資料はなく未確認)に進んだ。その課程を修了すると志願して、本籍地である広島の陸軍部隊に入営した。広島の郷土部隊・歩兵第11連隊第7中隊に所属し、中国本土や海南島仏印ベトナム)に派遣されたようだ。太平洋戦争開始時のマレー半島への上陸作戦(海軍の真珠湾攻撃よりも数時間早く開戦された)、その後のシンガポール攻略作戦に参加。シンガポール陥落直後に南方軍の新たな命令「マレー半島粛清命令」にもとづいて、1942年2月から3月にかけて、マレー半島ネグリセンビラン州に移動、警備隊として駐屯した。


廣島の郷土部隊


「歩兵第11連隊」


 広島城の堀の東側、中国放送本社(RCC)の南側、木立の中に、一つの石碑と石の門柱が立っている。歩兵第11連隊の碑とその連隊入口の門柱とされるモニュメントだ。旧陸軍歩兵第11連隊は、広島に司令部を置く第5師団の中心部隊であり、広島の郷土部隊である。石碑にはこの部隊が満州事変以来の対中国戦争において、中国大陸の各地にたびたび派遣され、太平洋戦争が始まった1941年12月8日には、マレー半島上陸作戦に参加したことなどが記されている。


 しかし、広島から派遣されたこの歩兵第11連隊がシンガポールを占領した後にマレー半島ネグリセンビラン州に治安粛清部隊として配備され、1942年3月から中国系住民(華僑)の粛清行動を繰り返していたという事実は、石碑には記されていないし、人々にはほとんど知られていない。


 ネグリセンビラン州での大きな住民虐殺事件として、イロンロン村(犠牲者1474人)、パリッティンギ村(犠牲者675人)、スンガイルイ村(この事件は8月、犠牲者368人)の事件が現地では知られている(表)。戦後イギリス軍によってこれらの事件について、戦犯裁判が行われ、被告はすべて歩兵第11連隊の関係者である。

 


スンガイルイ村の華僑虐殺事件


 叔父・忠が住民虐殺の首謀者とされたのがスンガイルイ村での事件だ。スンガイルイは、ネグリセンビラン州にあり、バハウからマレー鉄道東海岸線で約23マイル北、パハン州との県境から少し南にあり、当時そこには鉄道の駅があったという。駅といってもプラットホームはなく、駅の周辺に20軒ばかりの店とその周辺に住民の集落があったといわれている。スンガイルイ周辺ではタバコの生産が行われ、その取引のためと西にある金鉱山の入口の村として、中国系の住民が400人くらい住んでいた。

戦闘服姿の叔父・忠(1940年6月)

 

 ネグリセンビラン州の住民虐殺は、ほとんどが1942年3月に集中しているが、このスンガイルイ村事件は同年8月30日に起こった。3月頃から行われた第1次から第6次までの治安粛清が一段落した後でも、共産党軍」や「抗日分子」が行動を起こす、また、様々な事件が起きると日本軍が出動してその中では、住民に対する虐殺が行われる。そういう時期であった。


 日本軍はマレー系住民に警察の下請けとして自警団を組織させ、役人の代わりをさせるなどしていた。中国系住民とマレー系住民を敵対させるようにして、現地の住民を利用して住民を支配しようとした。


 スンガイルイ村の近くで、「共産党分子」が不穏な動きをしているとの情報が事件のひと月前頃から報告されていたらしい。そうした中で、自警団員となっていたマレー系住民の男が誘拐され殺害された、という通報がそのマレー系住民の家族から警察に、さらに日本軍警備隊(第7中隊)にもたらされた。


 少尉で小隊長の叔父がバハウから部隊を率いて、現地の警察官を伴ってスンガイルイ村に出動し、事件の捜査を行った。住民の証言などによると、日本軍の隊長は中国系住民を集めて尋問し、自警団の男を殺害した「犯人は出てこい」という演説を行った。捜査が終了しかけたころに、日本兵隊長が「中国人たちを片付けてしまいたい。彼らはみな共産主義者だ」と言ったという。同行していたタミル人警察署長が、「犯罪者は裁判に懸けないといけない」と抗議したにも関わらず、「責任は自分がとる」と言って、日本兵は中国系住民の男を数珠つなぎにして人目のつかない周辺の林の中に連れて行き、銃剣などで殺害した。女性や子どもたちは小屋のような住居に閉じ込め、外側から機関銃で撃ったのち、住居に火を放って焼き尽くしたという。


 事件後、マレー系住民が日本軍の許可を得てインド系労働者を使って遺体の処理・埋葬をおこない、368人が犠牲になったことが確認されたという。スンガイルイはこの住民虐殺によって、集落自体がなくなった。それだけ大変な事件であったという。


 叔父・忠は、本人の尋問証言からすると「1942年8月に、軍の命令により、スンガイルイにて抗日分子・共産党分子に対する掃討作戦を行った。以後には現地には行っていない。」しかし、その掃討作戦とは、スンガイルイ村の中国系住民多数を犠牲にする住民虐殺そのものだった。


日本占領下の中国系住民虐殺


 1942年2月、マレー半島上陸から2ヵ月余りで日本軍はシンガポールを占領した。2月19日、南方軍総司令長官寺内寿一大将(当時サイゴン)は命令を発し、その第1項は「旧英領馬来に於ける治安を迅速に回復し軍政を普遍せしめ以て国防重要資源の取得を容易ならしむると共に軍自活の途を確保す」とあった。


 これを受けて第25軍(司令官山下奉文中将)は21日、指揮下の各師団にマラヤ全域の治安粛清を命令し、第5師団は「ジョホール州、昭南島を除く馬来全域の治安粛正(ママ)に任じられた」。そして以下の命令を下した。

 

一 軍は馬来全域の治安を迅速に粛正(ママ)しつゝ次期作戦を準備す
近衛師団昭南島(昭南市を除く)の第十八師団はジョホール州の迅速なる治安粛清並びに戦場掃除に任ず 河村少将は依然現任務を続行す


二 師団(河村少将指揮下部隊欠)はジョホール州及昭南島を除く馬来全域の迅速なる治安粛清に任ず

 

 中国侵略戦争の拡大・泥沼化が対米、対英戦争へと発展していったことには間違いない。しかし、なぜ治安粛清の対象とされた抗日分子、共産党分子がマレー半島の中国系住民だったのだろうか。


 1931年満州事変、37年日華事変を経て、日本の中国侵略は本格化・拡大していった。これに対して、内戦状態にあった中国国民党中国共産党の「国共合作と抗日民族統一戦線」は急速に発展して、日本侵略に対し徹底抗戦していく合意が成立した。国民党軍と住民の中で、非正規軍として戦う中国共産党軍の両方への対応を強いられた日本軍は、相当な苦戦を強いられたに違いない。また、兵站能力が不足し、食料などを「現地調達(略取)」せざるを得ない日本軍だった。


 アメリカ・イギリスやソ連(当時)から中国への軍事物資援助も拡大する中で、東南アジアに移住していた中国系住民(華僑)も、母国への侵略に対して義援金を送り、軍事物資輸送に直接携わる人々(トラック運転手やトラック整備に携わり「回国機工」と呼ばれた)もいた。アメリカやイギリスからの軍事物資輸送ルートは「援蔣ルート」とも呼ばれた。


 日本軍も東南アジアの中国系住民による中国支援については、当然把握していたに違いない。また、日中戦争の長期化とともに、住民の中で活動する抗日勢力に悩まされ、過敏に反応する日本軍の姿がそこにある。


裁かれた戦争犯罪


 シンガポールマレー半島での住民虐殺について、イギリス軍は終戦を待たずに情報収集を始め、戦争犯罪人をリスト化し、終戦になれば直ちに戦争犯罪を裁けるよう準備した。そこは植民地の支配国・宗主国としての威信もあったといわれる。法曹資格をもった軍人が裁判官になり、検事役も法曹資格者が担い、被告には弁護士と通訳をつけて行われた。そのため、スタッフを整えて裁判を始めるには時間がかかったようだ。


 シンガポールでの裁判は46年1月21日から、叔父・忠が裁かれたクアラルンプールでの裁判は1月31日から、ラングーンでは3月22日、香港では3月28日、ラブアン(北ボルネオ)では4月8日と、戦争犯罪を裁く裁判は次々と開廷されていった。イギリスのアジアでの戦犯裁判は、シンガポール裁判の1946年1月21日に始まり、香港裁判の終了1948年12月20日までかかった。


 戦争犯罪の裁判は一審制で行われた。叔父の裁判は1947年10月21~29日、6回の公判が開かれ、同29日に有罪・死刑判決がなされ終わっている。その後、裁判記録をイギリス本国に送付し審査され、妥当と判断(叔父の場合、同12月17日)されれば刑が執行された。


 シンガポールでの取り扱い件数131、被告が465人、死刑判決が142人、死刑確認112人である。私の叔父が裁判を受けたクアラルンプールで取り扱いは39件、被告数が62人、死刑判決が20件で、死刑が確認されているのが18人とあり、この18人の中の1人が叔父の忠である。


 叔父の「スンガイルイ事件」の場合、バハウに駐屯し、1942年8月、マレー人の誘拐・殺害事件があり、誰が調査に行ったか、現地の人には叔父の名前と顔は知られていたと思われる。叔父・忠は1945年秋を待たず本籍地の広島県佐伯郡廿日市町(現廿日市市)に復員した。その後、若林開拓団(現北広島町吉坂)に入植していた時に逮捕され、東京・巣鴨刑務所を経て、クアラルンプールに送られて尋問を受け、調書が作成された。現地の証人調査もされたであろう。1947年10月に裁判を受け有罪が確定した。翌(1948)年の元旦に翌日の刑執行が告げられ、2日に処刑された。それが「スンガイルイ事件」の結末である。

 

叔父・忠の裁判記録(表紙)


 イギリス軍による戦争犯罪者に対する裁判の特徴は、現地においてそれぞれの住民殺害事件に直接関与した部隊の責任者が裁かれたことである。軍の上層部にいて命令をした司令官や作戦参謀たちは、裁かれてはいない。誰に本当の責任があるのか、ある意味、不十分な裁判と言えるだろう。しかし、住民の目の前で繰り返し行われた住民虐殺は、住民の告発と証言で十分裏付けされた事実である。


「偽装病院船」橘丸と第5師団の最期


 1942年12月から翌年1月にかけて、叔父・忠は部隊の移動に伴ってインドネシア方面にも行ったようだ。その後、イギリスやオーストラリア軍の反撃に備えて、豪北の島々に駐屯していた。米軍の反撃は太平洋側諸島からフィリピンに向けて行われたことや、日本軍の戦況悪化により、制海権を奪われ、移動手段も失って、叔父の部隊は豪北の島々に取り残され遊軍状態になった。


 終戦が迫った1945年8月3日、「病院船」橘丸がアメリカの駆逐艦によって拿捕された。「病院船」というのは偽装で、1562人の将兵が乗っていた。しかも小銃、弾薬等を隠して積んでいた。橘丸には第5師団の基幹部隊である第11連隊の第一、第二大隊の隊長以下全員、山口第42連隊の一個中隊が乗っていた。この中の1人に私の叔父・忠もいた。患者の名前もカルテも偽物で、患者の白衣(病衣)まで偽装して身に着けていた。日本軍の通信は傍受されていて、出港後直ちに追跡され、駆逐艦「コナー」に臨検を受けて、赤十字マークの箱に銃や銃弾が隠されており、「病院船」でないとされて、米軍の捕虜としてフィリピンで終戦を迎えた。この偽装「病院船」橘丸事件とともに、第5師団歩兵第11連隊は「最期」を迎えた。


 偽装「病院船」橘丸に積んであった第7中隊の陣中日誌など軍の公文書は、アメリカに押収された。

旧陸軍歩兵第11連隊第7中隊陣中日誌

 

 この陣中日誌などが1986年頃に日本に返還された。林博史さんの「華僑虐殺」(すずさわ書店・1992年)は、陣中日誌の記録と現地住民の証言と照合してまとめられたものである。同氏はイギリスの戦争裁判記録を調べ、「裁かれた戦争犯罪」(岩波書店・1998年)にまとめている。私は、同書の「スンガイルイの虐殺」(P.246)に「橋本少尉」の名前を見つけ、叔父・忠が関わった事件であることを初めて知った。


華人虐殺の地 マレーシア訪問 緊張の連続


 私は、何としても現地マレーシアを訪問してみたいと考え林博史氏に相談したところ、「アジア・フォーラム横浜」の「東南アジア戦跡ツアー」を紹介された。そこで「住民虐殺」から70年の節目となる2012年夏の「アジア・フォーラム横浜」のツアーに参加することにした。


 「アジア・フォーラム横浜」には、スンガイルイ事件で刑死した橋本忠の甥であることを明らかにして、ツアーに参加した。ツアーの案内役をされていた高嶋伸欣氏には、驚きの参加者であったかもしれない。ツアー行程に私の個人的な想いを組み込んでいただき、高嶋伸欣氏と現地のツアーガイドCC Yongさん、そしてツアー参加の皆さんにはご迷惑をおかけした。


 高嶋氏から「現地の人々も世代交代しているし、心配するようなことはありませんよ」と聞かされた。しかし、戦犯・橋本忠の「甥」である私は、ツアーの出発時から緊張していた。8月12日(現地初日)のネグリセンビラン州センダヤンでの合同追悼式、余朗朗村虐殺の追悼碑がある知知での追悼式では緊張の連続で、特に16日、スンガイルイ村現地での林金發さん(スンガイルイ村中国系住民元村長)たちとの出会い、事件現場周辺の視察をし、ムヒディンさん(スンガイルイ村事件目撃者・スンガイルイ村マレー系住民元村長)宅を訪問し、事件の目撃証言を聞くときは緊張の極みだった。みなさんのおかげで何とかその場での振る舞いができていたように思う。

 

スンガイルイ村住民虐殺追悼碑(紀念碑)


 また、同日に訪ねたパリッティンギ(港尾村)の碑を訪問する時も緊張していた。パリッティンギの碑には、「日本皇軍橋本少尉領隊就屠殺長大成人四佰弐拾六名、及子孩未成人二百四十九名、計數六百七十五條無辜生命」と記されていると聞いていたからである。このパリッティンギとその周辺各地での虐殺事件では、第7中隊の中隊長やその下の小隊長が関わったとして戦犯処刑されている。「橋本少尉」と名前が紀念碑に刻まれているからには、叔父も何らかの関わりがあったのでないか。パリッティンギの追悼碑に記された「橋本少尉領隊」の文言は確認できたが、それ以上のことは明らかにできなかった。


 2012年8月12日、マレーシア・ネグリセンビラン州の「日本占領時華人犠牲者合同慰霊祭」に参加し、高嶋伸欣氏に促されて挨拶をした。「私は、スンガイルイ村事件で死刑となった橋本忠の甥で橋本和正と申します。叔父・橋本忠はスンガイルイ村事件の責任を問われて死刑になりました。叔父は死刑という形で責任をとったけれども、戦後に生まれた私たちの責任は再び戦争を起こさないこと、日本軍によって犠牲になり多大な被害にあった、と訴えている『人々の声に応える責任』がある。日本で、郷土部隊が編成された広島で住民虐殺の歴史事実が伝えられていないので、ぜひ広く伝えていきたい」と話した。


あらためて加害の廣島を考える


 戦後、広島は被爆を「原点」として、核兵器廃絶・恒久平和を希求するヒロシマとして広がっている。被爆の実相を伝え「ヒロシマのこころ」を世界に広げていくことは、とても重要である


 一方、被爆以前の広島もきちんと伝えていく必要がある。日清戦争のちょうどそのとき、広島まで鉄道が開通していたことから、広島が出撃基地を担い、天皇を迎えて大本営が置かれ、帝国議会を開いたこの広島。そこから、世界に戦争の惨禍をもたらす軍都の歴史を担ったこと、その一端を郷土部隊である第5師団・歩兵第11連隊が担った多大な「加害の歴史」を考えるべきだ。


 戦後78年が経過しようとするいま、中国やアジアの各地から日本の加害や非人道的な事実が数多く明らかにされている。歴史の事実から目をそらし、歪めようとする人物や勢力もいるが、私たちは、その一つひとつに目をむけ、現地からの声に耳を傾けるべきだ。日本の加害の事実に向き合って、再び戦争は起こさせないための行動をする、それが私の戦争責任だと思っている。


 叔父を含め戦争犯罪者として処刑された者を「戦争犠牲者」の1人とする考え方がある。戦争犯罪を「命令された」ものとして、免罪する向きもある。わたしも戦犯処刑者を肉親に持つ者としてそのような考え方に「ほっとする」感情を否定するものではない


 しかし、それではその先のことを考えなくなってしまい、「私の戦争責任」が問われるように思う。私は事実をきちんと受け止め、事実に向き合って生きたいと思う。


 英語で「責任」に当たる言葉は、「responsibility」である。この言葉は「response」=応答とか、反応とかを語源としているそうだ。それならば、私は戦争の被害にあった多くのアジアの人々の声に「response=応答」して認識していきたいと思う。

 

参考文献
高嶋伸欣林博史編集 村上育造訳 「マラヤの日本軍」 青木書店(1989年)
林博史 「華僑虐殺」 すずさわ書店(1992年)
林博史 「裁かれた戦争犯罪」 岩波書店(1998年)
共著 ブックレット「軍都」廣島 広島県労働者学習協議会(2011年)
同増補版(2022年)

 

( 月刊全労連2023年9月号掲載 )

 

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大きな注目を集めているマイナ保険証問題。政府がいう「様々なメリット」って実際のところどうなの? 「なりすまし受診」が横行してるから本人確認のために必要っていうツイートを目にしたんだけど? 10万7000人の医師・歯科医師を会員にもつ保団連による記事をご覧ください。※オンライン署名リンク付きです

 政府は、2024年秋までに現行の保険証を廃止し、マイナンバーカードと一体化した形に切り替える方針を示した。保険証を廃止するための下準備として、医療機関では、23年4月までに「オンライン資格確認」(本人確認をマイナンバーカードで顔認証付きカードリーダーを使ってオンラインにて行う)の導入義務化が強行された。全国保険医団体連合会(略称:保団連)は10万7000人の医師・歯科医師を会員に持ち、社会保障充実のために活動している団体だ。医療機関の立場から、「保険証廃止」による医療機関の現場での懸念や患者さんへの影響などを考えながら、「保険証廃止」がどういうことなのか、政府の狙いなどについて考えていきたい。

 

マイナンバーカードがないと医療機関にかかれなくなる─公的医療保険から遠ざかる

 

 現在、私たちは保険証で医療機関を受診している。しかし、政府が「保険証廃止」を強引に進めると、2024年の秋以降は医療機関を原則マイナンバーカードで受診することになる。医療機関では、オンライン資格確認の導入(図1参照)が医師・歯科医師の大きな反対の声を無視し、強引に進められている。オンライン資格確認の導入義務化をきっかけに、60歳以上の高齢の医師・歯科医師を中心に1割前後が閉院・廃院を検討するとしている(愛知県、神奈川県、大阪府の各保険医協会調査)。医療機関が「義務化は不要」と判断しているものが強制され、地域を熟知したベテランの医師・歯科医師の閉院・廃業が促進される本末転倒な状況だ。地域医療への大きな影響が懸念される。

 

 

図1 オンライン資格確認とオンライン資格確認等システム

(出所)「オンライン資格確認の導入で事務コストの削減とより良い医療の提供を~データヘルスの基盤として~」、令和5年4月時点更新、厚生労働省保険局(https://www.mhlw.go.jp/content/10200000/001085572.pdf)

 

保険証の資格確認で何も問題は起こっていない─マイナンバーカードでの受診が困難な方も

 

 現在、医療機関では保険証での受診で何もトラブルは発生していない。保団連が実施した実態調査(調査期間:2022年10月14日~11月20日、回答数8707件)では、保険証の原則廃止に65%の会員が反対している。一方で、オンライン資格確認を導入した医療機関では、トラブルが相次いでいる。先述の調査で、システム運用を開始した医療機関の41%が「トラブル・不具合があった」と回答している(図2)(※編集部注 最新の調査では、その数はさらに増えています)。その内容として、41%が「カードリーダーの不具合」を挙げている。医療現場からは、「事務作業が増え、窓口は大混乱になる。保険証なら目視で確認出来る」などの声が寄せられている。

 

図2

 


 

 マイナンバーカードでの受診が難しい方も多くいる。例えば、認知症や障害を持つ人などはマイナンバーカードを取得、管理することが困難だ。患者団体や高齢者などからは、「マイナンバーカードの暗証番号を覚えておくことは困難。暗証番号のメモをカードに書いてしまう人も出てくるなど、セキュリティ面で不安」、「マイナンバーカードを取得するために本人が申請窓口に行く必要があるため、遠くの申請窓口まで車いすが必要な本人を連れて行き、手続きをするのは困難」など、カードの申請や取得の時点で大きな支障が出ている。

 

マイナンバーカードで受診した方が便利なのか─政府の言うメリットは本当か

 

 医療機関マイナンバーカードで受診した際の様々なメリット厚労省から提示されている。例えば、患者さんの医療情報が受診した医療機関で把握できるため、医療機関が持病などを把握した上で治療出来るとしている。しかし、今でも医療機関では問診や「おくすり手帳」で患者さんの状況を把握している。むしろ、患者さんからは、自分の知られたくない病歴や個人情報の流出が心配だという声が寄せられている。また、前述したシステムエラーの問題をはじめ、高齢者がマイナンバーカードを医療機関に忘れたり、失くしたりするなどして、混乱が生じる可能性がある。大規模なシステム障害や災害時には、資格確認が出来ず、大混乱することも危惧される。


 他人の保険証を流用した「なりすまし受診」が横行しており、顔認証するマイナンバーカードの受診を進めるべきとの声が聞かれるが、これまで保険証の目視による資格確認において、「なりすまし受診」の横行などは報告されていない。医療機関で患者の「本人確認」が追加で必要だと判断した場合、写真付き身分証の提示を求めることもでき、必要に応じて医療現場では確認を行っている


 このようなことから、マイナンバーカードの保険証利用は、メリットが感じられない。何も問題ない医療機関での保険証での受診や資格確認を廃止し、政府が強引にマイナンバーカードでの受診に変更しようとしているのは、マイナンバーカードの普及が進まない状況を打開するための苦肉の策と言わざるを得ない。

 

なぜ国は「保険証廃止」、マイナンバーカードの普及を進めるのか

 

 政府の狙いは、患者負担増と、医療・社会保障費の抑制だ。マイナンバー制度の利用範囲(紐づける情報範囲)を広げて、医療や介護の負担増が進められる可能性がある。例えば、金融資産(貯金など)に応じて高齢者の医療費窓口負担を変えるという負担増計画がある。金融口座をマイナンバーと紐づけることで、このような負担増の議論が一気に進む可能性もある。将来的には、個人の医療・介護・税金・年金などあらゆる個人情報が芋づる式につなげられ、個人・家計レベルにおいて、負担と給付に係る情報が詳細に把握できるようになる。このような情報を活用し、個人が負担する税・保険料の範囲内に給付を抑える、国民皆保険制度の民間保険化なども懸念されている。


 そもそもマイナンバーカードの取得は任意だったはずだ。マイナンバーカードの普及を進めるために、生活に必須な保険証を人質に取り、マイナンバーカードの取得を実質的に強制することは許されない。私たちが安心して医療にかかるため、地域医療を守るため、「保険証廃止」に反対の声を一緒に大きくして行こう!

 

全国保険医団体連合会事務局主査 曽根 貴子

 

【オンライン署名】保団連などがよびかけている署名のリンクはこちらです。ぜひご署名をお願いします。キャンペーン · 現行の健康保険証を残してください · Change.org

 

※当該記事は2023年4月号(2023年4月15日発行)に掲載されたものを月刊全労連編集部が編集して掲載しています。

 

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自民党女性局によるフランス研修が話題になっていますが、ここでフランスの社会保障のあり方についての報告を緊急オンライン公開したいと思います。ぜひ研修の成果を政策に活かしてほしいですね。 『社会連帯は安心な生活の保障から─フランスの取り組みより』 フランス子ども家庭福祉研究者 安發 明子

1 社会連帯は安心な生活の保障から

 

 現在日本で世代間、世代内、地域間、さまざまな分断が生まれていることについて、筆者はフランスとの比較から図1のように考えている。安心して暮らせる生活保障があり、自由に発言できる環境の中で批判精神を持ち続けることができたら、市民性が育まれ連帯していくことができるのではないだろうか。土台の生活保障から順にフランスの取り組みを検討していきたい。

 

 なお、筆者はパリ市とその北にあるセーヌ・サン・ドニ県を調査フィールドとしている。特にパリ郊外に位置する後者は、移民の割合が非常に高く、左派政権が強いため福祉予算が他県に比べても多い。2020年の非課税世帯はパリ市の31.5%に比べ52%、貧困率はパリ市の15.4%に比べ27.6%である(1)。筆者は福祉が非常に盛んで活気がある様子に惹かれ調査を続けている。社会的背景には2020年のパリ市での未成年の犯罪の8割を、まだ滞在許可のおりていない外国出身の子どもが占め、強盗の3割の加害が彼らによるものであることなど(2)社会統合のために誰もが安心して暮らせる社会をつくらなければならないという意識が強くある。しかし、2022年の大統領選では41%を極右が勝ち取ったことをみても、フランスにおいても地域差がとても大きいことが窺えるため、パリとセーヌ・サン・ドニ県の様子は全国で共通とは限らない。

 

(1) 老後が安心であること

 

 年金改革に反対するデモが現在おこなわれていて、若い学生も家族連れもお年寄りも一緒に行進している。自分たちの暮らしを守る、あるべき国の姿に近づくべく年代を超えてともにたたかっている。

 


 

 フランスには老後の蓄えという概念がない。65歳以上はそれまで年金を納めていなくても、基礎年金を月14万1700円受け取る(3)。定年退職の平均年齢は62.4歳で、2020年の年金生活者は1680万人。1940年生まれの人は退職と同時に最後の給料の80%を年金として受け取るが、2000年生まれは62~68%になることが危惧されている(4)。フランスの65歳以上の年金生活者の平均月収は21万4400円で、3人以上子育てをした人は増額される(5)。比較のため、稼働年齢層の平均月収は38万8000円(2587ユーロ)である。ちなみに物価は日本の方がやや高く、フランスは生活保護費も最低賃金も平均賃金も日本の約1.5倍(6)である。


 65歳以上の相対的貧困率は日本が19.6%に対しフランスはOECDで一番低く3.6%(7)、65歳以上の男性の就労率は日本が33%であるのに対しフランスは3%である8。

 

(2) 高齢、障害、傷病は生活保護の対象ではない

 

 生活保護には65歳以上、障害と傷病は含まない。それぞれ生活保護以上の手当が存在するからだ。日本の生活保護受給者の55%が65歳以上であるのに比べると大きな違いである。最低限の生活費で人生を終えることがないというのは、尊厳を守るうえで重要な点ではないだろうか。


 障害のある人の雇用について、筆者が2000年代に生活保護ワーカーをしていたとき、1ヵ月フルタイムで働いて工賃が6000円ということがあった。交通費や昼食代の方がかかるので、生活保護を受けている障害のある人の中で働くという選択をする人は一部だった。自分の時間を誰かのために使うことについて、障害のある人もない人も同じなのに、その対価がここまで低い。日本の障害のある人の雇用について、就労継続支援A型は月収平均約8万円、B型は平均約1万6000円とされている。フランスでは障害のある人専用の、日本の作業所のような就労の場で最低賃金の55~110%という基準なので、20万3300円が最低賃金手取額であることから、11万1800円から22万3600円ということになる。公的機関は障害のある人の雇用が多いが、企業も障害のある人を6%雇う義務があり、障害のない人と給料の差別をしてはならず、賃金は当然最低賃金を割ってはならない。

 

(3) 必要な個人に福祉が届くこと

 

 福祉や制度があることにとどまらず、フランスにおいてはそれらを必要としている個人に届くことを目的としているので、届いていない人がいることは政策課題となる。連帯、障害者の自立省が去年開いた学会のテーマは「フランスとヨーロッパの社会保障給付金未請求について」である(9)。パリ市の広告にも「パリでは、みなさんが権利を利用できるようにすることが私たちの義務です」とある(写真)。社会保障や福祉のことを「皆に共通の権利」と呼ぶ。

 

「パリではみなさんが権利を利用することができるようにすることが私たちの義務です」 と書かれたパリ市広報

 

日本では社会保障が届いていないことについて「福祉を受けたがらない人がいる」と言うことがあるが、それは福祉が受けにくい制度になっているからである。例えばフランスの生活保護にあたるRSAは、個人単位であり、親族に知られることはなく、銀行照会も家庭訪問もない。筆者が福祉事務所で調査をしていたときに「母国で母が手術をすることになったので、全財産を送ったから生活費がなくなった」という若者がきた。ソーシャルワーカーが当面の生活費を用意する手続きを進める。「本当か確認しないの?」と聞くと、「どんな生活をし、どんなことで困っている人かまだわからない、だからこそまずはソーシャルワークできることが入り口」と言う。つまり、生活保護や現金給付をきっかけと捉えている。実際には問題はお金だけではないことの方が多いとも言う。またあるときは、ある夫婦が20代の息子が家でゲームをしていて外に出ないことで相談にきた。息子に連絡し、一人で生活保護を受ける権利があることを伝え手続きを進める。両親が豊かな暮らしをしていることと、息子が社会生活に結びついていないことは分けて考えている。ソーシャルワーカーは「息子にソーシャルワークと生活費があることで、親子の間の葛藤を防ぐことができる。一番避けるべきなのは孤立。息子に生活費がありソーシャルワークを受けていることで、親は息子の自立について心配する必要がなくなり、いい関係を維持することができる。親に抱えさせると、家族丸ごと孤立するかもしれない」と言う。家族と暮らしていても、パートナーと同棲していても、誰にも知られることなく生活保護を受けることができ、そのことでソーシャルワークを受け、困難がある状況を解決するのを支えてもらうことができる。


 働けるのに生活保護を受け続けることがないのは、活動奨励金の制度による。少しの収入であったとしても、生活保護より手元に入る金額は増える。最低賃金の3分の1の月収6万円で奨励金が4万円、手元に入るのが10万円、最低賃金の半分の月収で10万1600円、奨励金が5万円、手元に入るのが15万1600円と生活保護を大きく上回っていく。たくさん稼げば稼ぐほど暮らしが良くなるため、より多く稼ぐ動機になり、445万世帯が対象となっている。生活保護か経済的自立かの二者択一ではなく、フランスの制度はもっとなだらかになっている(10)


 調査の中で印象的だったのが、見かけない親子が入ってきたとき、それを迎える若手職員を送り出す同僚の言葉が「手ぶらで帰すんじゃないよ」であったことだ。何かしら期待して来所したのだからそれを汲み取り、一緒に解決するのがソーシャルワーカーの使命であり、制度の説明に終始したり、条件に合わないとして帰すことがあってはならないということである。ソーシャルワーカーをはじめとする専門職が、福祉が行き届いていることを保障する役割を担うのだ。


 必要な人に福祉が届く仕組みであること、そして制度を届ける任務をソーシャルワーカーが担っていることが、制度の理念が生きるために重要である。

 

(4) つなげる福祉

 

 子どもの場合は、例えば3歳から16歳までの義務教育は「教育と福祉とケアが行き届いていることを保障する期間」として、医師の診断がない欠席が月2日を超えると、家庭支援の対象となる。不登校はかなり早期に対応されるということである。学校に行かないままでいることは認められていない。その代わり必要に応じて学校が選択できること、全寮制の学校が3歳から利用できることなど、選択肢はある。滞在許可などなくても学校に通う義務があることで、子どもから家庭内に福祉が届けばいいと考えられている。


 地域の場合は、福祉事務所のソーシャルワーカーが生活相談や障害など窓口を分けず、同じソーシャルワーカーチームが家族全体のケアをコーディネートする。つまり、どのような相談も受け付けている。日本は生活保護の申請をし、条件が合って初めてソーシャルワークが受けられるのに対し、フランスは誰でもソーシャルワークが受けられ、生活保障もその一環である。社会保障の窓口は二つに集約されているので手続きは簡単であり、ソーシャルワーカーが一緒に手続きをする。


 一つめの窓口では生活保護、家族手当や年金など全国共通の権利を扱い、もう一つはパリ市独自の手当を担当する。全て健康保険の家族部門である家族手当基金が金庫番となっているので、手続きは一箇所で良い。保育料や給食費学童保育代なども同じところが計算している。両親が別居した場合や家族の誰かが死亡した場合なども状況の変化を知ることができるため、家族手当基金ソーシャルワーカーが家族を訪問して一人ひとりに会い必要なケアやサービスが届いているかチェックする。養育費の立て替えや請求、別居している親との面会交流の場所の提供や立ち合いもしている。


 またソーシャルワーカーたちは「個人」だけでなく、「グループや社会」を対象としたソーシャルワークもすることが雇用契約書に定められている。つまりケースワークだけでなく、自分が必要だと感じているソーシャルワークを企画実行する。例えばその一つとして「足元活動」が興味深い。地域のスーパーの前や新しくできた市営住宅の脇などに、仮設の福祉事務所のテントを一週間たて、保健所職員や区長などと終日通りかかる人全員に声をかける。その中で地域のニーズがある家庭の情報が入ってくることがある。他にも地域のカフェで母子家庭が無料で料理教室に子連れで参加できる曜日や、高齢者がパソコンやプリンターを使える曜日を設け、そこでソーシャルワーカーが地域住民とやりとりをする機会にもしていた。


 他にもさまざまなサービスをソーシャルワークにつなげている。パリ郊外では高齢者の宅配食事サービスを市が担っているが、日々食事を配るのは民間の委託業者だ。しかし、その食事を配るスタッフは全員市で継続研修を受け、毎週各利用者についてアンケートに入力する。そのアンケートデータは分析され、市の担当者のもとに届く。呼び鈴から玄関を開けるまでの時間がかかるようになっていたり、髪を洗っていない日が増えたりといった変化があると、ソフトウェア上にサインが出て、市のソーシャルワーカーが高齢者宅を訪問するようになっている。また、高齢者用にも低い金額で利用できるレストランや習い事が複数あるが、そこにもソーシャルワーカーが参加し、具体的なニーズに応えるソーシャルワークへとつなげる。


 ソーシャルワーカーというのは福祉事務所にいて窓口に来た人に対応すれば良いだけではなく、自分の担当する地域に福祉に漏れている人がいないか目を配ることまでが求められている。調査先には、18年間同じ地区を担当し、地域のリソースは熟知しているという人もいた。かつ、各々がクリエイティブにより良い福祉を模索することも、福祉の発展に貢献している。

 

(5) 貧困対策は女性の就労を支えることから

 

 フランスにおいては「貧困対策=女性を支えること」とされている。図2は家族手当基金が作成したものである。女性の就労を支えれば社会保障の負担は減り、所得税や年金、医療保険などの税収は増えるとしている。団塊の世代が大量に離婚した70年代より、給付金ではなくサービスを充実させるようになった。その結果、現在では日本で婚外子2%に対しフランスは60%と、結婚しないことが子育てにおいて不利とならない状況になっている。

 


 男性の働き方も、女性の就労が可能であるものであることが前提である。週35時間、年間258日の労働と定め、それを超えた場合に割高の給料を支払わなければならない制度により、男女ともに平均帰宅時間は18時であり、アルバイトやパートや嘱託といった働き方がないので、就労が守られている。サービス残業は高額の罰金の対象となる。

 

(6) 無料で産み、子どもは望む教育を受けることができる

 

 自己責任論は暮らしの安心感が薄いことの表れなのではないだろうか。自分の暮らしへの安心感があれば、「必要ではない人が福祉を利用している、無料の食品を受け取っている」といった他者への批判は起きにくい。そして子どもの貧困は、実際には制度と大人の貧困である。社会保障によって子どもに降りかかる貧困のハンデを減らすことができる。


 フランスは妊娠検査と出産の費用が無料で、保育は生後2ヵ月半から、働いていなくても、両親の収入の1割で利用できる。

 3歳から16歳の義務教育は無料で、大学や大学院、専門学校も無料か収入があっても学費は年間3万円程度である。入学金という制度はないので、入学してから他の学校に移ることもできる。生活費のための奨学金は返済不要であり、収入に応じて中学から支給される。パリ市のソーシャルワーカー専門学校においては、学生の7割が奨学金を受け取っており、残りも失業保険を受けたり雇用主がいたりする。フランスで大学や職業専門学校に通うときに、アルバイトをしながら学生生活を送るということは一般的ではない。また、自立も日本よりハードルが低い。16歳から26歳までは月7万7000円(526ユーロ)を受け取り、ソーシャルワーカーと心理士がつく支援や、月約4万円から7万円(250~500ユーロ)の若者用マンションにも1階にはソーシャルワーカーがいるなど、必ずしも経済的に自立していなくても、親元を離れた暮らしを望むことができる。高校を卒業し進学する際に家族手当基金に家賃手当を請求するのは、一般的にされる手続きである。大学の学食は一食147~485円(1~3.3ユーロ)で利用でき、学生用の無料食料配布もある。学生のデモでは「奨学金が少なく現代の暮らしに合っていない、アルバイトをしないと足りないほどである」と訴えている。学びがほぼ無料であるゆえ、学び直しをする人も多い。違う分野の学び直しや転職は前向きに捉えられている。

 

(7) 公助の土台があってこその共助

 

 暮らしが守られている、病気や障害のようなことがあっても、高齢になっても暮らしが保障されている、自分も望めば学び直しや転職ができるという気持ちが「困っている人は助けられるべきだ」という感覚につながっているのではないだろうか。現金寄付は所得控除の対象となることも大きい。寄付した額の66%が所得税から控除される。パリ市には「連帯オフィス」という部署があり、市内中心部の事務所でボランティア募集の情報提供をしたり、ホームページの地図には現在どこでどのような募集をしているか見ることができる。つまり、公的機関が民間機関をつなぐハブとなっている。一度でも参加すると、2週間に1回ボランティア募集のメーリングリストが届く。ボランティアとして道ゆく人に寄付の呼びかけをすると、誰もが笑顔で「ありがとう」と言う。老若男女、大学生の男性のような若者も1000~2000円程度の寄付をしていく。そしてその民間団体主催でボランティアが集めた寄付が、保健所など公的なところで配られることもあり、寄付をきっかけにして家庭へのソーシャルワークにつながる。公的機関と民間機関のお互いへの信頼がある。

 

(8) 子どもはみなで育てる

 

 家族関係予算は、介護保険のように「家族保険」が、結婚していなくても、子どもがいなくても、全労働者の給料に対し計算され、雇用主が労働者以上に労働者分の社会保険料を払う仕組みになっている。例えば「給料22万円-社会保険料4万9526円=差引支給額17万0474円+雇用主負担の社会保険料7万201円」という計算になる。つまり、22万円給料を払うのに雇用主は29万円払う。さらに、アルバイト制度がなく1日の就労でも社会保険料があるので、手取り1万円払うには雇用主はその1.5倍は払うことになり、企業負担が大きい。そこには子どもは皆で育て支えるものという国のメッセージが含まれている。


 その他にタバコやアルコールなど健康に悪いものにかけられる高割合の税金も、社会保障に充てられる。現在は金融資産や不動産収入に対する課税も対象となっている。企業負担から、市民や家庭の負担が大きくなってきていると批判されている。

 

2 自由に発言できる環境と批判精神

 

 社会連帯のために次に必要なのが、自由に発言できる環境と批判精神である。日本とフランスで制度にはそこまで大きな違いはない。けれど、制度が届いているか、利用しやすいかは大きく違う。その差はソーシャルワーカーをはじめとする人間一人ひとりの動きの違いである。福祉事務所で調査をしていたときに、今日何も食べていないという人が来た。いつもは建物内で作られている温かい食事を提供しているのだが、その日はなぜか冷凍食品会社のお弁当を温めて出すものが届いた。30代の女性ソーシャルワーカーはその場で県の担当に電話し、「これがフランス人の平均的な食事だというのか。正しくない扱いだ、このようなことは二度と見たくない」と伝えていた。自分は福祉を実現しているという意思を表す行動だ。ある子ども家庭在宅支援機関は素晴らしい仕事をしていた。子どもたちも親たちもソーシャルワーカーたちを慕い、信頼し、状況がみるみる改善していっていた。「素晴らしい仕事をしているね」とソーシャルワーカーに言ったとき「いい仕事をしていなかったら私がここにいるわけないじゃない」という返事だった。教育の違い、労働環境の違い、実践を支える知識の共有方法の違いが背景にある。

 

(1) 自分で情報収集し思考し議論できる教育

 

 フランスの教育省が掲げる基礎能力とは「読み書き計算、他者の尊重」である。小学1年生からの倫理と市民教育の授業は「責任ある市民」を目的に掲げている。同じ年から受ける法律の学習も目標は「矛盾に気づき批判的な分析ができること」とされている。市民一人ひとりがこの社会をつくるため、一人ひとりが情報収集し議論できることを大切にしている。


 例えば中高歴史地理の教員試験国家資格の課題例からも、その目指すものを見ることができる。2020年の合格率は12%だったが、課題4つのうち、2つは以下のようなものである。文献分析5時間「イギリスの1640~1700年代の政治や外交に関する資料について 1.文献を批判的に分析し、2.教師として生徒に教えるべき価値や概念や知識の伝達のための論理を発展せよ」。公開授業「与えられたテーマについて数々の資料をもとに4時間で分析し、テーマの内容を的確に説明し、様々な議論があるものを偏りなく紹介し分析し、最新の研究や調査をもとに市民として考えるべき問題や社会的な課題を明らかにし、テーマから現代社会を考える視点を提供する。教育的文献、科学的資料、社会的資料という異なる分野を比較検討する中で分析し教育に繋げられる力を試す」とある。


 なぜここまで自分で思考し意見できること、議論できることを求めているのだろうか。フランス人に聞くと、第二次世界大戦の反省が大きいと言う。ハンナ・アーレントをはじめとするナチスの研究は、従順で優秀で真面目な人たちが虐殺を起こしたことを示している。「おかしいんじゃないか」と声をあげるような人たちではなかった。だからこそ、この社会を担う一人ひとりが思考できることが、より良い社会の未来を築くことにつながる。それに比べ日本は「市民として考えるべき問題や社会的な課題」について調べ、議論する機会を十分設けているとは言えない。


 進路選択などの機会にも「自分は社会の中でどのような役割を果たすことができるか」と若者たちは問いかけられる。IKIGAIという言葉は、日本とは違う意味合いで使われている。フランス語の意味は「世の中に求められている役割、自分が上手にできること、自分がしたいこと、自分に経済的収入を与えるものの4つが交わる活動」であり、市民性を重視するフランスらしい使い方になっている。


 働き始めてからも同じである。ソーシャルワーカーのケース会議の前に、上司は関連ある分野の論文をメールで共有し、その論文についての議論から始めることで、ケースについてより思考を深められるようにする。紛糾したときにはその分野の専門家を呼んでくる。管理職は、チームと個人の課題解決能力と問題意識を高めていくことを役割として担っている。


(2) ポストごと採用

 

 ソーシャルワークは社会を変革することが目的である。国際ソーシャルワーク連盟の定めた定義の中でも「この定義に反映されている価値と原則を守り、豊かにし、実現することは、世界中のソーシャルワーカーの責任である。ソーシャルワークの定義は、ソーシャルワーカーがその価値観とビジョンに積極的にコミットする場合にのみ意味がある」と書かれている。それに対し、日本の公務員として働いていると、必ずしもそれが容易ではないのはなぜだろうか。ある児童保護に関する学会で、イギリス人講話者に日本人が「声をあげたくてもあげることが難しいということについてどう思いますか」と質問したところ「声をあげることこそがソーシャルワーカーたちの責務です」と答えたことがあった。筆者自身、2000年代半ばに福祉事務所で勤務していた際、人事に呼び出され「現在の福祉は先人たちが築いてきた最善のものであり、少しでも改善の余地があるという考えがあるのであれば今すぐ辞職してほしい」と、何かを書かれた用紙にサインさせられたことがある。このようなことが起きる大きな要因の一つは終身雇用である。


 フランスはどの業界もポストごと無期限契約が基本であり、例えばソーシャルワーカーが国家資格を取得すると「どの上司のもとで働きたいか、キャリアを築きたいか」を選ぶ。当然、評判のいい上司のもとで働きたい。なので、競争原理が働き職場が適正化される。日本の児童相談所のように、一人のワーカーが80ケースも抱えさせられているようではいい上司も良いワーカーも雇えない。それゆえ、一人で担当する子どもの数は26人などと県で基準が定められ、どこも同じ条件で働くようになる。その仕事をしたい人が就任し、その仕事を続けたい限り残る。そして、希望しない限り異動させられることがないので、自分でキャリアプランを考えながら毎年の研修を重ね、強みを磨いていくことができる。自分の仕事に自信があるからこそ、不足についての意見も主張し、福祉の向上を目指す。管理職になぜ管理職となることを選んだか聞くと、「情熱の継承」であると言う。


 日本のように3年ごとの異動があっては十分な専門性が身につかないまま終わるので、自信をもって批判することもできない。医師の場合、例えば先月まで耳鼻科をしていた人に違う科で診てほしくないのに、ソーシャルワーカーの場合はその分野の初心者でもいいと考えるのは、利用者に対する軽視があるからではないだろうか。


 自分で自分のキヤリアの主導権を握れない場合、先々に影響があると困るので波風を立てることはしなくなる。利用者の権利よりワーカーの安泰が優先されることが起きる。それは「評判搾取システム」とも言えるものである。自分の評判を守らなければ安全に仕事ができなくなるかもしれないので、黙る結果となる。しかし、黙ったとき得をするのは管理統括する立場の人たちであり、犠牲になるのは弱い立場の利用者や子どもたちである。「評判」が最優先にならない社会にしていかなければ、自由に発言し、批判精神を持ち続けることは難しい。

 

(3) 自分でキャリアを描けること

 

 ポストごと採用に加え、自分でキャリアを描ける環境も重要である。フランスでは、どんな仕事を選んでも学び続けられる制度を国が設けている。その学びは週35時間の就業時間の範囲内で、費用は雇用主負担、国が負担するものもある(11)。コロナで営業できない職業が出た際も、国は従業員の研修費用を負担するとし、多くの人がその機会に新しい分野の研修を受け、転職する人もいた。


 転職しても戻れる制度も活用されている。例えば民間在宅支援機関の代表は、パリ市で子育て支援を強化する計画が持ち上がったときに、パリ市のプロジェクト代表に引き抜かれ、公的機関で数年働いたのち民間の代表に戻った。専門性の高い民間機関でキャリアを積んだ人が公的機関の管理職に転職するということが多く見られるが、公的機関の人が専門性を高めるため民間機関に転職し、また公務員に戻ることもある。市民一人ひとりが最大限力を発揮できることを重視しており、人の行き来がある中でそれぞれの環境で情報もアップデートされやすい。自由に発言でき、批判精神を維持できる背景の一つである。

 

(4) 批判精神を持ち研究し報告書を出すことができる

 

 批判精神を持ち研究できる環境は、フランスでもしばしば批判されることである。しかし、批判的であることは尊重されている。例えば保健省のある報告書を作成したのは、18人の多分野の研究者や現場の実務者たちだった。1年の作成期間中、研究者たちはそれぞれテレビや講演で報告書に盛り込まれる予定の内容について話題にするので、現場の関心や期待は高まる一方であった。例えば、父親の育休ではなく産休は9週間必要であると報告書には書かれたが、結果的にその年のうちに14日から28日に、うち7日は義務であり、違反は雇用主への罰則と変更された。担当省庁からしたら18人もの専門家がそれぞれの視点から改善点を盛り込んでいて、内容が広く知れ渡るので大きなプレッシャーになるが、現場職員や国民からすると名前を知っている人たちが書くので、期待することができる。


 政策やお金の使い道に対する批判も、日本の会計検査院に当たるような機関をはじめ、各研究所が発表している。フランスでは、例えば家庭内で親子ともに支援することは、親子関係が悪化して施設措置が必要になることに対し、9000分の1のコストで済むとしている(12)。なので、子どもが望む限り家庭内にソーシャルワーカーが通う支援が優先され、親子分離は原則短期しかない(13)。一方で、日本で施設経営者に話を聞くと、措置費は都内で子ども一人あたり年間1000万円、地方でも500万円はかかり、親の支援が十分ではないため家庭復帰が叶わないことも多くあり、乳児院から成人までいることもあるため、子ども一人に1億円を超す予算がかけられることがあるという。このようなことが起こっていても、批判は現場からも多く出ているとは言えない。


 日本では研究者が自分の取り組みたい研究を提案し、選ばれたものに国から研究費が出る仕組みがある。フランスの場合は公的機関も民間機関も現場が課題を提案し、研究者が手を挙げ話し合って研究テーマを決めて、国から研究費が出る。現場はさまざまな視点の研究者の目にさらされる中で、実践に必要な知識が蓄積され、実践知も広く共有されていく。現在1400人の研究者がこの契約で雇われているが、今後2600人に増やすことが目指されている。


 また、民間団体が積極的に独自に研究者を雇うこともされている。それは、統計は政治的なものであり、見せたいものが選ばれるため、国の出資する研究に頼らず自ら必要な情報を発表するためである。例えばいじめの被害者、加害者、親や兄妹や友人たちをサポートする団体は、人口の何割がいじめの被害に遭ったことがあり、その影響がどれだけ大きいものであるか統計をとり、国に示し、全国各県にいじめ専門の相談機関ができ予算が組まれる流れをつくった。いい政策が上から降ってくることを待つのではなく、ある現実を知っている人たちが、その重要性を示し、政策を動かしていくのである。


 研究者が「評判」にしばられることなく、現場と手を組んでより良い社会を目指し、自由に発言し、批判精神を示していくことが求められている。

 

(5)ジャーナリズム

 

 より良い社会を目指すジャーナリズムも、連帯を育み批判精神を養うために必要であろう。今年ルカという13歳の男の子がフランスの小さな町で自殺したことについて、パリジャンという新聞のトップページでその追悼行進を紹介していた。500人が集まり、ルカくんを偲んで行進した。同性愛者であることをクラスメイトにバカにされ、同級生5人が検察の調べを受けている。お母さんは「自分自身で居続けられるよう勇気を持って、自分自身でい続けるために戦ってください」とインタビューに答えたというものだった(14)。日本で自殺している年500人を超える子どもたちも同じくらいの苦しみを受けていたわけだが、トップニュースで扱われたことや、「こんなことがあってはならない」と人々が行進したことがあっただろうか。悲劇の検証や、日本の課題の共有をおこなうジャーナリズムが不足している。


 例えばASHというソーシャルワーク専門週刊誌は年間契約数35万件を誇り、福祉事務所や福祉施設に置かれ、ワーカーたちの情報のアップデートを担っている。フランスはフリーランスの記者が多いこともあり、専門性がないと記事が書けないため競争が激しい。

 テレビ番組に裁判官や公務員など現場を知っている人が出て討論すること、当事者と大臣が激論を交わすことなども、国民に何が問題で何が望まれているのかを広く共有する機会になっている。

 自由に発言できる環境と批判精神は、歴史や文化のせいにすることなく、一人ひとりの意識でつくっていくことができるものである。

 

3 おわりに:市民性と連帯

 

 フランスの児童保護分野のワーカーに「日本というと、不登校や引きこもり、未成年の自殺というイメージで、なのに日本を旅行したら平日の日中のデパートもレストランも女性たちでいっぱい、女性たちが贅沢していてショックだった。あの女性たちが障害者や高齢者や子どもたちのために働くようにできないのか」と言われたことがあった。日本では「社会の中で自分が果たせる役割」ではなく、まず家族の一員として期待された役割を果たすことが求められる。子育ても、長時間働く夫の代わりも、親の世話も期待されているかもしれない。その次に組織の一員として期待された役割を果たすことが求められる。夫か親の仕事を手伝わされているかもしれない。その二つの役割を果たして初めて社会の中でできることに取り組むことができる、けれど最初の二つの任務は非常に重いこともある、そのように筆者は解釈している。フランスの場合は、社会保障があるので親の老後も子どもの教育も負担は比較すると小さい。そして組織の一員というよりも、例えば「いちソーシャルワーカーとして」の自身のキャリア意識の方が強い。日本にある二つの役割が軽い上、小さいときから市民としての自分という意識が教育されている。パリジャン紙のある日の一面タイトルは「ホームレスがいることに慣れてはならない」であった。「私は人間なので、人間に関することは全て私に関係がある」というローマの哲学者テレンス(紀元前190~159)の言葉はしばしば引用される。当事者でなくてもより良い社会になるためにたたかう。それは一人ひとりの意識にかかっていることだが、自分に与えられた枠内ではなく大きな仕組みにも向けていく必要がある。
 

 日本の福祉現場などから「限られた予算と人材、言いたいことはたくさんありますが、できることをやっていくしかないと思います」という発言を聞くことがある。「自分だったら気が狂いそうな環境ではありますが、脱走しないのは自分の家よりはいいということだと思うので、そのような環境が用意できてよかったと思います」という発言もあった。利用者と連帯した発言ではない。与えられた枠内での活動では社会問題の解決も、社会の変革も道のりは遠い。人々の困難も悩みも政治がつくりだしたものであり、人が変えていくことができるものである。フランスもいまだ課題は山積しているが、反省を重ね、人々の手でより良い形をつくろうとしている。


 社会に合わせられなかった個人を批判するのでも、個人が社会に合わせられるよう促すのでもなく、サービス提供者も利用者も連帯し、社会を個々人に適応させていく、皆にとって生きやすい社会をつくる。そのために、その土台となる社会保障と自由に発言できる環境も意識的に問い直していくことは必要不可欠である。

 

(注釈)

1 Insee, Comparateur de territoires (2022)
2 Le Parisien紙2023年1月9日“Les autorités s’in quiètent de la « montée en puissance » des mineurs non accompagnés délinquants”
3 ASPA 961ユーロ。レートは以下全て2023年4月30日1ユーロ=147円で計算
4 Conseil d’orientation des retraites, « Evolutions et perspectives des retraites en France » (2022)
5 1459euro net/mois (2022) https://www.insee.fr/fr/statistiques/6047747?sommaire=6047805
6 OECD2021年価格水準指数PLI、労働政策研究・研修機構データブック国際労働比較2022。最低賃金手取額フランス月20万3300円(1383ユーロ)、日本の最低賃金の平均930円xフランスの労働時間週35時間x 4週=月13万200円。
7 ニッセイ基礎研究所OECD加盟国の年齢階層別相対的貧困率(2020)。
8 2020年。経済産業省統計局「日本長期統計総覧」(2022)。
9 Ministère des solidarités, de l’Autonomie et des Personnes handicapées, Colloque « Le non-recours aux prestations sociales en France et en Europe », mardi 13 décembre 2022.
10 安發明子「フランスの福祉事務所と生活保護─日本との比較から」『自治と分権』(大月書店、2022年夏号 N.88、pp.71~86)
11 安發明子「フランスの子育て在宅支援を担う人材とその育成」『総合社会福祉研究』(第53号2023年4月)
12 IGAS, Evaluation de la politique de soutien à la parentalité (2019)
13 安發明子「フランスの在宅支援を中心とした子育て政策」『対人援助学マガジン』(第51号2022年12月pp.227-267)
14 Le Parisien, « Marche blanche pour Lucas : « Ayez le courage de vous battre pour ce que vous êtes », lance sa mère » (2023年2月5日)

 

著者プロフィール

安發 明子(あわ あきこ) 1981年生まれ、首都圏で生活保護ケースワーカーをしたのち2011年渡仏、フランス国立社会科学高等研究院健康社会政策学修士社会学修士
「フランスにおける子ども家庭福祉と文化政策」『「健康で文化的な生活」をすべての人に』河合克義、浜岡政好、唐鎌直義監修、自治体研究社2022年3月
『一人ひとりに届ける福祉が支える フランスの子どもの育ちと家族』かもがわ出版2023年7月刊行予定

著者ホームページ:https://akikoawa.com/

 

( 月刊全労連2023年7月号掲載 )

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映画評 阪本順治監督最新作「せかいのおきく」※試写会ご招待プレゼントへの応募リンクあり 全労連常任幹事評者 仲野 智 

なぁ、“せかい”ってことば、知ってるか


 江戸末期、東京の片隅。おきくや長屋の住人たちは、貧しいながらも生き生きと日々の暮らしを営む。そんな彼らの糞尿を売り買いする中次と矢亮もくさい汚いと罵られながら、いつか読み書きを覚えて世の中を変えてみたいと、希望を捨てていない。
 武家育ちでありながら、今は貧乏長屋で父と二人暮らしをしているおきくは、寺子屋で子どもたちに文字を教えている。毎朝、便所の肥やしを汲んで狭い路地を駆ける中次のことがずっと気になっている。


 ある日のこと、おきくの父、源兵衛は「なぁ、“せかい”ってことば、知ってるか?」と中次に「せかい」の言葉と使い方を教える。
 ある事件に巻き込まれ、喉を切られて声を失ったおきく。引きこもりになってしまったおきくは、「文字を教えてほしい」と訴える子どもたちと住職に説得され、もう一度、子どもたちに文字を教える決意をする。


 雪の降りそうな寒い朝。やっとの思いで中次の家にたどり着いたおきくは、身振り手振りで、精一杯に気持ちを伝えるのだった。
 お金もモノもないけれど、人と繋がることをおそれずに、前を向いて生きていく。そう、この「せかい」には果てなどないのだ。

人も自然も、生きる上で私たちの「肥料」になる


 「どついたるねん」(1989年)で監督デビュー。「KT」(2002年)、「亡国のイージス」(2005年)、「闇の子供たち」(2008年)、「エルネスト」(2017年)など、社会に問いかける映画も多数送り出してきた阪本順治監督の最新作です。


 資源が限られていたからこそ、使えるものはなんでも使い切ろうとする文化が浸透していた江戸時代。私たちが生活するうえで必ず出てくる「糞尿」を買い取り、農家に売る「下肥買い」も立派な商売として成り立っています。しかし、扱う商品が商品のため、多くの人たちに「下の身分」として見られる矢亮と中次。それでも自分の仕事に誇りをもって働いています。日本が大きく揺れ動いている江戸時代末期ですが、庶民の暮らしはそれどころではなく、毎日の暮らしに精いっぱいです。


 社会が大きく動いていても、それどころではなく懸命に生きる人々の姿はなんだか今の私たちに似ています。つらく厳しい現実にくじけそうになりながら、それでも心を通わせることを諦めない若者たちの姿が、孤立化している今の私たちに問いかけてきます。
 田畑の肥料となり、野菜となって私たちの口に入り、そして糞尿となり、また、田畑の肥料へと戻っていく、そんな「糞尿」が重要な役割を果たすこの映画。今話題の「SDGs」を地で行っている映画だとは思いますが、なんとなく、上映時間中「臭ってきそう」な映画です。飲食をしながらの鑑賞は気をつけた方がいいかも?!

 

映画『せかいのおきく』 一般試写会 ご招待プレゼント
■開催 4月11日(火) 開場19:15 開演19:30 (上映時間90分)
■会場 シネ・リーブル池袋 (東京都豊島区西池袋 1-11-1 ルミネ池袋 8F)https://ttcg.jp/cinelibre_ikebukuro/access/
ご招待プレゼント 10組20名様 ※映画『せかいのおきく』4/11(火)一般試写会 応募フォーム: https://onl.bz/KXnzRm1
※応募締め切り:3月31日(金)まで
※当選発表:4月3日(月)を予定しております メールアドレス:magichour magichour.co.jp から当選した方へご案内mailをお送りします
※お問い合わせ先:マジックアワー ℡:03-5784-3120/magichour@magichour.co.jp

映画『せかいのおきく』
出演:黒木華寛一郎池松壮亮、眞木蔵人、佐藤浩市石橋蓮司 脚本・監督:阪本順治 配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア 4月28日GW全国公開 
©2023FANTASIA

 

( 月刊全労連2023年4月号掲載 )

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