月刊全労連・全労連新聞 編集部

主に全労連の月刊誌「月刊全労連」、月刊紙「全労連新聞」の記事を紹介していきます。

#裁量労働制の拡大 労働基準法の解釈による改悪を止めよう!

 残業代ゼロ「定額働かせ放題」の裁量労働制(みなし労働時間制)を、様々な業務に広げようと経済界が暴走し、政府もそれを止めないという、大変な事態が起きています。
 2018年には、労働基準法の改悪による裁量労働制の拡大が狙われていましたが、今回は、なんと、労基法の条文はそのままに、解釈の変更、省令の改悪で突破しようとしているのです。解釈改憲が進む中、労基法でも、それをやろうというのです。

 

 しかも、その適用対象は、2018年改悪法案より広く、製造ラインで作業改善計画を立案し、試行し、改善点を洗い出して実施したり、人事部門で働き方の見直しを進めたりする業務など、2018年の改悪法案でも「そこまで広げてはならない」とされた分野に、法改悪もせず、導入可能というとんでもないひどい内容なのです。

 

 従来の裁量労働制の対象は、本社企画部門と専門19業務に限定されていましたが、今回の危険な解釈がまかりとおれば、「改善を試みながら業務を遂行する」という、職場で広く行われている業務・働き方についても、実労働時間とは異なる「みなし労働時間」が適用され、長時間働いても自己責任、割増賃金も支払われないことになりかねません。

 

 法律も変えずに、不払い長時間労働を合法化する事態を止めるため、ぜひ一人でも多くの方から反対の意思表示をお願いします。

【緊急告発】帰ってきた「#裁量労働制の拡大」あの悪夢が再び?!  データ改ざんがバレて葬られたはずの、あの「裁量労働制の拡大」を、国会の審議なしで年末にこっそり復活させようという企みが進行中!#裁量労働制の拡大に反対

 みなさんは覚えているでしょうか? 2018年の安倍政権下で働き方改革関連法案」の名のもとに国会で審議されていたものの、「裁量労働制で働く人たちの労働時間の長さは、一般労働者の平均より短い」という政府が示していたデータが、なんと改ざんされた嘘データであることがバレてしまい、法案から削除された裁量労働制の拡大」(別名:定額働かせ放題)のことを。

 

「そんな前のことはもう忘れちゃったよ」という方も多いのではないかと思いますので、簡単に解説します。

 

 裁量労働制というのは、「労働時間が長くても短くても、実際に働いた時間に関係なく『契約した労働時間分を働いた』ことにする」という制度です。ということは、どれだけ業務が忙しくて長時間の残業をしなければならなくなったとしても、決められた労働時間分=「みなし労働時間」の給料しかもらえない、ということになります。

 これが裁量労働制」が別名:定額働かせ放題と呼ばれるゆえんなのです。どれだけ長時間働かせても給料は契約額だけ支払えばよいということになるので、経営者にとっては「夢のような制度」であるといえます。

 

 こうした裁量労働制についての懸念は、なにも根拠なくいっているのではありません。厚労省が実施した「裁量労働制実態調査」(2021年6月25日)によると…

 

1. 長時間労働について

 「みなし労働時間」が何時間であるかを認識していない裁量労働制で働く労働者が、3割~4割もいます。そして、裁量労働制で働いている労働者の労働時間は、同種の業務のほかの労働者よりも週平均で2時間長く、深夜労働や持ち帰り残業の頻度が高く過労死ラインで働く人が14%(非適用者は9%弱)という結果が出ています。

 

2.裁量労働制の「裁量」について

 同じ調査で「仕事の内容・量」を「管理監督者が決めている」ケースが3割前後、「管理監督者の意向をふまえ労働者が決めている」ケースが4割前後という結果がでています。

 つまり、裁量労働制」なのに、業務の期限や内容・量を自分の裁量で決めることができない労働者がそれだけいるのです。したがって、上司や取引先によって短い納期が設定されたり、過重な業務が与えられたりすれば、長時間労働になるのは当たり前といえます。

 

 

 そしてここからが本題です。実は今、年の瀬がさしせまったこのタイミングで、裁量労働制の対象となる業務を増やす検討が急速に進められています。しかも、前述の2018年の国会審議でコテンパンにやられた記憶があるからなのか、それとも、上記の厚労省調査の結果がかんばしくなかったからなのか、なんと法律そのものに手を加えず、国会審議をしないで厚生労働省令の改正(現行法の「解釈」の変更)によって、年内に無理やり押し通そうとしているのです!

 

 その検討が行われている労働政策審議会労政審)労働条件分科会において、「裁量労働制の対象業務に追加すべき」と使用者側委員が主張しているのは、以下の業務です。

 

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/001010072.pdf (第182回労働条件分科会資料No.2-1より)

 

 12月13日には主に金融機関での業務について議論されました。かいつまんでその内容を説明すると

 

使用者側委員:労働者が自分のペースで進める高度な専門的業務なので、基本的には新卒社員が配属されることはないし、一般的には長時間になっていないと考える。

 

という主張です。

 しかし、上記の条件に当てはまるかどうかは、すべて経営者が判断します。高度な専門的業務といっても、資格が必要な業務ではないので、会社にやれと言われたら労働者はやらざるを得なくなるのです。対象は「銀行」「証券会社」ですが、「仲介企業」、「コンサル企業」などに同様の業務があった場合、なし崩し的に広がる可能性もあります。

 

 また、生産ラインや人事部門のPDCA(企画・試行・チェック・実施)を回す業務」については、現行の企画業務型の法規定(労基法28条の4)の解釈で導入可能という考えが出されました。製造業の生産ラインでも、人事・総務でも営業でも、いわゆるPDCAは実践されていますから、これだと各企業の判断で多くの業務が裁量労働制の対象にしてもよいということになります。

 

 実質的に「裁量」が失われた場合には、裁量労働制の適用を解除すればよいとも言っているのですが、そもそも厚労省の調査で「裁量労働制なのに、業務の期限や内容・量を自分の裁量で決めることができない労働者」が少なくないことが明らかになっているので、説得力に欠けると言わざるを得ません。

 その上、「労働者本人の判断で裁量労働制からの離脱が可能というけれど、実際に機能するのか」といった、具体的な運用の場面を想定した問題が議論されていないのです。

 学校の先生たちは、たとえ本人がやりたくなくとも、部活動の顧問を自主的に引き受けているということにされているという話を聞いたことがありませんか? 実質的な歯止めがなければ、本人の意思に反することを「労働者本人の判断」とすることは、形の上ではいくらでもできるのです。

 

 「業務量が過剰な場合は、裁量労働制は適用できない」などの議論もなされていますが、これも歯止めがあるとは言えません。裁量労働制で働く労働者の場合には、労災の適用も難しくなる可能性があります。

 

 こんな重大なことを、防衛費や増税の問題が世間を騒がせている間に、国会での審議も法律の改正もせずに、こっそりと決めて進めてしまおうというのでしょうか?

 このあまりに拙速で乱暴な動きがあることを緊急で告発し、力ずくで裁量労働制の拡大を進めようとしていることに、全労連は強く抗議し、反対することをここに表明します。

【完全版】米国の進歩的労働運動における組織化=オーガナイジングの実践とその教訓 レイバーノーツ・オルグ・教育担当、マサチューセッツ教員組合前委員長  バーバラ・マデロニ

↑ 12/22~23に本稿を執筆したバーバラ・マデロニ氏を招聘し、公開学習会を開催致します。ふるってご参加ください。参加申し込みは下記のURLからお願い致します。

12/22:https://onl.sc/XVZkBXd

12/23:https://onl.sc/MMJdyV8

 

 私は本稿のなかで、米国におけるさまざまな労働者教育と組織化戦略について、それらの方法と実践が、職場と労働者の変化、パワー、ユニオニズムに関する多くの理論をどのように反映しているかについて考察したい。私たちが組合員をどのように教育し、組織化するかが、私たちがめざす組合のあり方と運動のパワーを支える能力を決定づけると私は考えている。

 

 オルグ、教育者、組合員、マサチューセッツ教員組合(MTA)前委員長としての自らの視点と経験をもとに本稿を執筆している。これらの立場から、私は解放運動としての教育が組合の組織化のなかにどのように具体化されるのか自問してきた。私のレイバーノーツ(以下LN)に関する理解は、私の労働者教育の取り組み、またオルグとしてのLNの現在の取り組みに基づいたものである。そのなかで、LNの出版物『Secrets of a Successful Organizer(『職場を変える秘密のレシピ』日本労働弁護団訳)』が開発したカリキュラムに基づいて、多くの取り組みを進めている。私たちは活動しながら、カリキュラムが前提とする事柄について定期的に議論し、その結果に応じて、取り組みを修正している。また私たちは、現在「ロング・カンバセーション」と名付けた新形式のワークショップを開発中である。このワークショップでは、参加者を集めて、日々の経験を交流することから始め、会話のなかで問題点を特定し、パワーを評価し、職場の仲間を集め、団体行動を起こし、その行動を総括し、その後、新たな取り組みを開始する。多くのストライキオルグとして関わったジェーン・マカリービーの知識とサポートは、マサチューセッツ教員組合における私の活動になくてはならないものだった。また彼女の著述やその活動への論評を読み、彼女の最新のワークショップ「パワーのための組織化」にも参加した。

 

 私の意図は、私たちが組織化=オーガナイジングの基礎とすべき基本原則をよりよく理解するため、私が経験し、使用した方法を精査することにある。置かれた状況が異なるなら、求められる対応と方法も異なる。とはいえ、選択に際して私たちが考慮すべきことは、現在置かれている状況だけでなく、最終的な目標をどう描くかだ。それよって、対応と方法が左右されるのだ。

バーバラ・マデロニ氏

 

背景:組合組織率の低下と 組織化の課題

 

 米国の労働組合員数は、ここ数十年減少し続けている。2019年時点の組織率は、労働者の10.3%だ。組織率低下の理由には、企業、政治家、裁判所によるメディアに支えられた一斉攻撃がある。組合員が減少するにつれて、非組合員と組合員を分断することが容易になった。労働法によって組合の組織化はより困難になり、強力な武器であるはずのストライキによる連帯の力が弱くなった。いわゆる「労働権」法によって、交渉で獲得した団体協約による恩恵を受けるために労働者が組合費を払って組合員になる必要がなくなり、組合は組合員の拡大、維持がより困難になった。

 

 米国において組織化の際に組合が直面する困難は、アマゾンの倉庫労働者や、いわゆるギグワーカーを組織する最近の取り組みに示されている。アラバマ州ベッセマーにあるアマゾンの物流倉庫の労働者の中に、かつて鶏肉加工場で働いていた経験のある元労組員がいた。この労働者らは、小売・卸売・百貨店組合(RWDSU)の地方支部に組合を結成するための手助けを求めた。組織化の取り組みは、メディアによる宣伝戦やバイデン大統領など政治家が支援に入るなど8ヵ月に及んだが、最終的に組合結成反対が賛成を2倍上回り、組合の認証選挙は敗北した。

 

 それ以来、多くの組合オルグやジャーナリストがこの敗北を分析している。オルグカリフォルニア州立大学バークレー校(UCBA)レイバーセンターの上級フェロー、ジェーン・マカリービーは、論評のなかで、会社によるデマ情報や恐怖を植え付けるキャンペーンに労働者が耐えうる構造の構築、またその構造テストにRWDSUのオルグが失敗したことを非難した。その代わりに彼女は、労働者のリーダーを特定し、職場をマッピングし、労働者の参加を評価する「構造テスト」と彼女が名付けた一連のプログラムを紹介した。

 

 また別の人は、組織化の取り組みの弱点を目の当たりにするとともに、法律の抜け穴を利用してアマゾンが労働者を脅迫したことに注目した。アマゾンは会社主催の全従業員集会を開き、オルグが労働者に近づくことを制限するなどして、労働者を震え上がらせた。アマゾンは、郵便投票用紙を投函する倉庫敷地内にある、米国郵政公社の郵便ポストを監視するなどの違法行為にも及んだ。しかし、アマゾンのシステム全体のなかでひとつの倉庫を組織しても無駄だという懸念は、当初から存在した。なぜなら、仮にひとつの倉庫を組織化したとしても、巨大資本であるアマゾンは、その倉庫を閉鎖し、どこか別の場所に新たな倉庫を開設するからだ。

 

 ベッセマーにおけるアマゾン労働者の組織化の失敗は、私たちが直面する多くの課題(戦略的思考の欠如、脆弱な組織化スキル、一枚岩のアマゾンに立ち向かって勝利する方法など)を物語っている。私たちは、サプライチェーンのハブとしてのアマゾンの労働者を組織し、資本を打破する有意義なパワーを獲得しなければならない。しかし、それは手ごわい取り組みであり、戦略、スキル、潤沢な資源が求められる。

 

 米国の労働組合組織率を高めるためには、アマゾンの倉庫労働者の組織化だけでなく、現行労働法の適用を受けない数十万人のギグワーカーの組織化にも取り組まなければならない。労働組合はギグワーカーの組織化に手を付けているが、ライドシェア企業やデリバリー企業は、住民投票や法律を使って、組合による組織化を制限しようとする。昨年、カリフォルニア州のライドシェア企業は、州民投票に勝利し、ほとんど使えないような最小限の福利厚生を労働者に提供するかわりに、労働者の身分を個人請負業者にしてしまった。カリフォルニア州の組合は法案に反対し、1億8000万ドルを費やした。さらに悪いことに、ニューヨーク州では、2つの組合が議員と協力し、ライドシェア労働者とデリバリー労働者を名ばかりの「組合」によって組織される、通常とは違ったグループの労働者とみなす法案の制定を推進しようとた。

 

 この法案によって労働者は、最低限の福利厚生と引き換えに、加入する組合を決定する権利 (州が任命した委員会によって決定される)、すでに獲得した最低賃金、仕事の割り当ての決定方法に関するデータへのアクセス、州の失業保険へのアクセスなどを失った。この法案の内容がリークされたとき、労働者は激怒し、妥協しようとしていた組合でさえ、妥協をあきらめざるを得なかった。

 

 このニューヨーク州の例は、ベッセマーの組織化の失敗例とともに、組合指導部の失敗を物語っている。ニューヨーク州のケースでは、法案のリークにより法案を支持していた組合は、支持の撤回を余儀なくされたものの、そうした組合のリーダーらは、名ばかりの「組合」(せいぜい組合であることの意義を乏しい想像でしか語れない組合、ひどい場合は、実際にパワーを構築せずに、組合の組織率を高めるためなら意図的に労働者を誤った方向に導くことすら厭わない組合)と引き換えに、パワーを放棄する準備をしていた。カリフォルニア州ニューヨーク州の双方のケースは、ともに正式な組合指導部が適切な状況判断、労働者へのアクセス、連帯とパワーを構築する計画の立案に失敗したケースだと言えよう。カリフォルニア州のケースでは、組合は経営者のデマ情報キャンペーンに対抗する資源と資金を持っていなかった。この事実もまた、私たちが対峙するパワーの巨大さを暗示している。

 

背景:能力とパワー

 

 米国の労働運動の問題は、組織率の低さだけではない。誰がパワーをもち、どのように行使しているのかという「パワーの問題」でもある。昨年、米国労働運動は、パンデミックと民主的選挙の妨害という脅威に直面した。いずれの危機についても、いくつかの組合は重要な要求を勝ち取ったが、広範な集団的運動の組織化という、組合の持つ潜在的な力は発揮されなかった。

 

 パンデミックの初期に、ロックダウンにより店舗や企業が閉鎖されたとき、「いまこそ労働者の出番」という感覚があった。パンデミックは健康と安全に関する共通の問題をつきつけ、労働組合は組合や産業を超えてたたかうことができるように思えた。しかし、時が経過し、一部の大組合は、健康と安全、危険手当に関する要求を勝ち取ったものの、共通の要求に基づく労働者の組織化に向けて、全国組合は共通の動きを見せなかった。

 

 医療従事者、教員、バスの運転手、食料品店の労働者などの組合支部は、健康と安全を求めてたたかったが、全国組合の指導部は大統領選に夢中で、政治戦以外の広範な行動の呼びかけに不慣れで、共通の要求に基づいて労働者を束ねることはなかった。客室乗務員協会(AFA)のサラ・ネルソン会長は、組合員を組織し、すべての労働者の広範な要求実現を訴えた、労働運動の数少ない希望の星の1人だ。

 

 パンデミックが猛威をふるい、労働者が自らと互いの身を守ろうとするなかで、大統領選挙運動は展開された。全国組合の指導部は、大統領選で打倒トランプに専念した。

 

 私たちの多くは、トランプが敗北しても大統領辞任を拒否するのではないかと危惧した。AFL-CIO(米労働組合同盟・産別会議) や、その加盟組合の多くを含む米国の全国組合は、トランプによるクーデターが起きた場合の対処について、自分たちの組合員ではなく、民主党の方ばかり見ていた。民主党がクーデターの可能性に興味を示さなくなると、組合のリーダーもそれに倣った。

 

 労働運動による民主主義を守るための行動を全国的に議論するため、組合のオルグとリーダーによる非公式のグループが作られた。「民主主義を擁護する労働者アクション(Labor Action to Defend Democracy)」は、毎週のネットワーク会議、リソースの共有、サポーターや地域のパートナーの行動を呼びかけた。ほとんどの全国組合は、民主党と足並みをそろえて、選挙後は集会を控えて解散するよう労働者に指示した。パンデミックと民主主義に対する脅威という双方の対応において、労働運動は驚くほど準備不足だった。私たちの弱点が露呈したのだ。

 

 米国の労働運動に関わるほとんどの人びとは、組合組織率を向上し、現在の組合員のなかで私たちのパワーを構築し、利用するために、何かをしなければならないと理解している。しかし、それらにどう取り組めばいいのかという方法に関する広範な合意は存在しない。本稿は、組織労働者のなかで、私たちのパワーをどのように構築し利用するかという問題に焦点を当てている。第一の問いは、私たちのパワーの所在をどのように理解するか、二つ目はどのようにそのパワーを作り出すか、そして三つ目にそのパワーを利用して何をめざすかである。

 

パワー=力

 

 米国の労働組合官僚は、40年以上にわたって、民主党との協調にパワーを費やした。州レベルでも、国レベルでも、民主党候補者を選挙で勝たせるために労働組合の金と時間は費やされ、労働者は常に失望させられてきた。

 

 2011年、ウィスコンシン州知事が団体交渉権を骨抜きにしたとき、当時のオバマ大統領は、労働者とともに権利を守ると約束したが、その約束は守られなかった。

 民主党が100パーセント約束を破っているわけではないにせよ、組合が立法化に焦点を置くときには、労働者は単なる有権者として脇に追いやられ、また労働者固有のパワー、すなわちストライキに訴える能力に目覚めることが妨げられる。

 この選挙政治への方向転換は、タフト=ハートレー法の枠内、団体交渉権を保証しながら、労働者によるストライキの行使を制限し、それによって、リーダーが他の場所にパワーを求めるよう仕向けている。パワーの中心は職場から組合指導部に移行し、その指導部は労働者を組織するのではなく、ボスや政治家に接近しようと努める。組合指導部は、労働者から孤立すればするほど、選挙による官僚主義労使協調にいっそう執着するようになった。

 

 組合が政治闘争による変革に焦点を置くことで、労働者は単なる有権者として脇に追いやられ、また労働者固有のパワー、すなわちストライキに訴える能力に目覚めることが妨げられる。パワーの中心は職場から組合指導部に移行し、その彼らは労働者を組織するのではなく、経営者や政治家に接近しようと努める。組合指導部は、労働者から孤立すればするほど、選挙による官僚主義労使協調にいっそう執着するようになった。

 

 組合指導部が組合員減少に警戒感をもっていても、焦点は依然として組合員拡大であり、職場の組合にパワーを構築することではない。ストライキは著しく減少した。現場の組合員は、組合をせいぜい民主党の手先、ひどいときは経営者と馴れ合って選ばれた、リーダーの地位に固執する官僚主義の集団と見なし、組合から離れていった。

 

 反撃しようとする組合はあるが、その多くは痛々しいほど態勢が整っておらず、たたかう力量が低下している。労働運動の打開のカギの一つは、「いかにして、再びたたかうことを学ぶか」である。勝利のために力量とスキルを再構築するには、私たちは何をなすべきか。問題の核心はパワーである。どこに私たちのパワーがあり、どうやってパワーを構築するか。パワフルな組合を構成するカギは何だろうか?

 

組織化モデル:決定的な問題

 

 左派組合のオルグたちは、「労働者が再びストライキする方法を学ばない限り、組織率を高め、効果的なパワーを獲得できない」という認識を共有している。私たちが組織化し、1対1の会話に取り組み、ストライキでたたかうという、私たちの能力を最大限活用できる態勢を整えなければならないということは、誰もが同意する。新たな組織化については、最も可能性のある部門はどれか、その部門を支配するフレキシビリティを武器にした巨大な企業体とどのようにたたかうか、などがテーマになっている。組合の組織化モデルに関する議論を表面的に見れば、みなめざすものが同じだと考えがちだ。しかしそこにはわずかだが、重要な相違点がある。

 

 ジェーン・マカリービーのモデルでも、LNの職場の草の根戦略組織化モデルでも、リーダーの特定、マッピング、段階的に拡大するキャンペーンという内容は共通している。そして、ほとんどすべての組織化モデルのなかに1対1の会話があり、その会話の決定的な要素は「対象者への依頼」だ。すなわち、具体的な行動への参加を組合員に依頼することである。マカリービーのモデルとLNのモデルは、交渉の公開を支持し、奨励する点で似ている。そして双方のモデルはともに、使用者とのたたかい=ストライキを強く支持している点で共通している。

 

 相違点を特定するために私たちが調べなければならないことは、組織化の教え方、組織化の対象者、誰がどの部分の取り組みの責任を担うのかなど、実際に起きていることである。そしてそれ以前に、どこから、誰を対象に組織化に着手するのかである。

 

組織化の出発点

 

 マカリービーは「パワーのための組織化」という国際的なオンラインワークショップで、問題の特定、対象者の氏名、要求の設定、段階的に拡大する行動などの準備がすでに終わった前提で、問題点、運動の計画立案、依頼といった組織化のための会話を実践するトレーニングを通じて学習し、自分のものにすることを、オルグは強く期待される。

 

 マカリービーが教える1対1の組織化会話は、6つのステップで構成されるが、どうやってここまで至ったのか? と私は考えずにいられなかった。誰がこの目標を重視することにしたのか? 誰が対象者を特定し、段階的に拡大する行動を計画したのか? どのようにこの取り組みは始まるのか? これは些細な問題ではない。どのように取り組みがスタートするかは、この組織化の行方に大きく左右する。

 

 組織化の取り組みは、組合員との会話をとおして問題を特定し、パワーを評価し、運動方針を集団で決定することに根ざすのか、あるいはリーダー、スタッフ、オルグの集団が問題と要求、運動の計画を決定するとすると、誰がそれらの計画を実行するのか? 前者の場合、労働者は、集団的に対象者を特定し、行動を計画し、ボスとたたかう行動をとおして変化する。後者は、労働者と距離を置いたところから始まって、労働者を事前に決めた計画に導くことに焦点を置く。それは動員力といった狭義の集団的パワーを強化するが、分析や計画を発展させる労働者のパワーを引き出すことを、最初から排除してしまう。

 

 マカリービーの著書『近道はない:新ギルド時代におけるパワーのための組織化(原題:No Shortcuts: Organizing for Power in the New Gilded Age)』の序文のなかで、彼女は組織化キャンペーンの立案の一部として、パワーのマッピングに組合員が関わることの重要性を述べている。しかしマカリービーのワークショップは、このステップを省略している。この省略は危険ではないだろうか。労働者自らが問題を特定し、計画を策定しなければ、組織化の手法がトップダウンになる可能性は大きく残される。このトップダウンの手法は成功するかもしれないが、労働者の自らに対する、また自らの可能性に対する自覚を生まない。組織化キャンペーンで導かれた労働者は、自らが「責任を担う」のでなく、次にすべきことを告げられるのを待つことになるのではないだろうか。

 

 どこから組織化に着手するかという問題は、多くの組織化ワークショップに共通する問題である。LNで私たちが、パワー分析からワークショップを始め、労働者に仲間を探し、その仲間とともに重要な問題を見つけるよう奨励している一方で、注意してきたのは、私たちオルグの側が、会話し行動を実践している労働者のグループを「飛び越してしまった」と気付くことである。問題を特定する方法からここにいたる私たちのワークショップのなかで、この「飛び越し」に気付くことこそが運動であると留意しつつ、私たちがより多くの時間をかけて労働者に考え抜くよう求めているのは、「課題が発生したとき、どのように労働者を結集して計画を立案するか」である。

 

 私はしばしば、協約交渉キャンペーン策定や、組合指導部改革支援のワークショップの講師をする。参加者の期待は常に、私がキャンペーンを発展させる具体的スキルと行動のステップを示すことだ。具体的スキルや行動のステップは勝利に不可欠だ。しかし、私が労働者と会話するうちに明らかになるのは、まだ労働者はお互いに会話しておらず、したがって関係構築がされておらず、みんなにとって何が重要な問題なのかを知らないということだ。経営者が私たちを分断するために利用する、恐怖、分裂、無力感を克服するための信頼を構築できていないことだ。信頼し合い、互いに傾聴し、共同による計画立案などの基本的要素が欠けていると、運動には勝利できるかもしれないが、変革の力を秘めた未来の勝利─すなわち、意識を変革し、世界に開かれた広い展望をもった可能性のある勝利─に向けた基礎を固められない。決して焦ることなく、これらの基本的な段階を省略しないために、訓練と明確な目的が必要である。

 

誰がパワーを評価するのだろう

 

 組合の組織化に対する期待が、パワーについて組合員を教育すること(例えば、誰がパワーを持っているのか、どのようにパワーを労働者のために利用するのかなど)であるなら、組織化の側面は、職場内のパワーの構造を明確にすることを盛り込むべきだ。理想を言うなら、職場内のパワー(権力)の構造に、資本主義がどう反映しているかを盛り込むべきである。左派オルグにとって現在進行形の課題は、どこで労働者の政治教育を行うかだ。

 

 例えばCWA(米通信労組)など一部の組合は、講義、ブックレット、討論をとおして、参加者が経済的、人種的正義を検証するワークショップを発展させている。米国にはほかにも、職場や組合などにおける人種差別に関する組合員教育に取り組む組合も存在する。これらは独立したワークショップであり、通常は、一般的な教育プログラムを利用してテーマを掘り下げる。組合の改革に取り組むグループや一部の組合は、組合員の政治的な分析力を発展させる手段として、読書会を開催している。

 

 パワーの最も明確な教材は、経営者・ボスとのたたかいである。このたたかいのなかで、労働者はボスがとる行動を目の当たりにし、労働者の集団的パワーに目覚める。組合員が交渉に参加し、交渉のテーブルでのボスの行動を目撃し、団体交渉の枠組みでボスに対峙したとき、組合員は「経営者対団結した労働者」という、双方のパワーの相関関係を理解する。それにより自分たちがパワーを持っていることを自覚し、それが職場と社会をいかに変えうるかを知る。

 

 しかし極めて重要な点は、公開交渉は実際の交渉開始前から始まっているということだ。組合員が会話や議論をとおしてともに要求を練り上げるとき、まず組合員自らが、集団的利益のためにたたかう集団であることを知る。組合員は民主的なプロセスに基づいて行動するリーダーになる。組合員が会話をとおして練り上げた自らの要求を携えて交渉のテーブルに着き、ボスがその要求を拒否したとき、組合員は個人として拒否されたのではなく、集団として拒否されることを経験する。集団として行動することによって、労働者は自分たちが対峙するパワーの構造、すなわち「私たちvs彼ら」「労働者vsボス」、そして潜在的には「労働者階級vs資本家階級」という構造を理解することになる。

 

 マカリービーは、組織化の取り組みの一環として、労働者がパワーの構造をマッピングする必要性を主張する。この主張は、労働者が社会的、経済的構造を検証する「生成テーマ」を特定する方法を学ぶという、パウロフレイレ的概念を反映している。しかしマカリービーの組織化ワークショップでは、いつ・どのように労働者がこのタイプの分析に関わるのかが示されていない。

 

職場マッピングのワークショップ

 

 LNの「ロングカンバセーション」のファシリテーターは、職場の問題を探し出すよう参加者を促す。職場の問題、誰とその問題を共有し、誰がその問題を解決するパワーを持っているかといった質問をとおして、参加者は自分たちの職場におけるパワーの作用を特定する。そのうえで参加者は、「変化をもたらすために、どうやって私たちは自らのパワーを利用するか」を深く考えるよう求められる。対話は、具体的かつ背景を反映したものになるが、さまざまな会話をとおして浮かび上がってくるものは、ボスが誰であろうが関係なく作用する、パワーの基本的構造である。労働者がどこにいようが、ボスの行動が変わらないことを労働者は理解する。議論は「私のボス」から「ボスたち」に変化し、新たな意識が芽生える。

 

 ワークショップのファシリテーターオルグは、パワー分析が生産的なものか、強要になるかを判断し、また労働者が知の生産者として、また行動する存在として、自らを認識する双方のパワー分析の影響を判断する。これは二者択一の判断である必要はないが、オルグは変革の活動強化に向けた方法論の影響に注意する必要がある。

 

共通するスキル:多様なアプローチ

 

 すべてのオルグオルグ訓練は、リーダーの特定、1対1の組織化のための会話、職場のマッピングと運動を強めることについて学ぶ。しかし、これらの組織化をどのように教えるかは異なり、その違いは現在進行形の運動やパワーの変容を左右する。

 

リーダーを特定する

 

 リーダーの特定に関する一般的演習では、ワークショップの参加者が5人の架空の組合員に関する情報から、誰がリーダーかを決めるよう求められる。その後、参加者は様々な答えを議論する。ワークショップでは、よく「リーダーはフォロワーがいる人」という一つの答えが出てくる。マカリービーにとっては、フォロワーがいるだけでなく、政治色が薄く、組合とのつながりが薄い人がリーダーなのだ。マカリービーにとって、リーダーは常に職場のリーダーであり、組合のリーダーではない。したがって、その人が他の人を導くためには、組合闘争に引き戻す必要がある。

 

 私が担当するワークショップでは、答えは一つではないが、学ぶべきことは、リーダーとは何か、そして何がリーダーの条件なのかについて考えることだ。多くのワークショップで、参加者は「間違った」人物をリーダーだと考えた理由を説得力をもって説明する。私はワークショップの参加者から、一人の人間が組合活動をリードし、参加する方法は多くあることを学んだ。そしてパワーを形成するために、誰もがオルグとして能力があることを知ることが重要なのだ。

 

 ファシリテーターは、「正解」にたどり着くことなのか、それともリーダーについての考えの探求をサポートすることが目的なのかを見極める必要がある。マカリービーのモデルでは、討論の後に参加者は正解が一つしかないと教えられる。この確実性に安心する人もいるが、組織化は化学反応ではない。組織化への道は一つで、ワークショップのリーダーが答えを知っていて、参加者はファシリテーターの言葉を受け入れるべきだと主張することは、労働者自身が自分たちのパワーのために組織化することに反し、権力と権威の関係を再生産することになる。

 

組織化のための会話

 

 1対1の会話は、組織化ワークショップのもう一つの要素だ。ほとんどのモデルでは、オルグの自己紹介、組合員の問題関心を質問し、その課題の問題点をあおり、解決の展望を示し、行動計画を述べ、組合員に何らかの依頼をするというフォーマットだ。「依頼する」のは、事前に決められている集団的な行動、例えば署名や集会の参加などだ。マカリービーなどのモデルでは、オルグが会話の中で言っていいこと、悪いことなどが厳格に定められている。オルグが組合員に彼らの要求を質問するときには、すでに事前に決められた計画にそれらの問題を接続させることが目標となっている。究極的な目標は組合員にその行動に参加してもらう約束を取り付けることだ。

 

 しかしこのモデルでは、行動を計画している課題をどのように決め、誰がその計画を立案したのか? という疑問が生じる。多くの組織化モデルは、課題から要求を選択したのちに、行動計画が策定される。このことで、組織化の初期段階から組合員が参加しているのか、という分かれ目を避けることができる。この段階を飛ばしてしまうと、私たちが構築しようとする運動の基盤がおろそかになる。

 

 オルグでは8割が聞くこと、2割が話すこととよく言われる。しかし、オルグが本当に聞く力の訓練をすることは稀だ。私自身のトレーニングでは、参加者に話を聞く練習から始めるのではなく、彼らに質問だけをする会話の練習をしてもらう。参加者がこの訓練を振り返ると、誰かが自分に耳を傾け、職場でぶつかっている問題について質問されることの力強さを実感している。質問によって自らの内面を振り返り、課題や要求の理解が深まり、孤独ではないという感覚になり、状況を変えるために他の人と一緒に立ち上がる準備ができる。これが将来の行動、組合員自身が問題を特定することに積極的に参加し、職場のパワー構造を分析し、行動計画を策定する基盤となる。

 

 これらの組織化戦略を分析するのに必要なのは、会話はどこで開始されているのか、という問いである。それは職場において、あるいは組合役員やスタッフとの話からなのか? 要求課題は組合員が決めたのか、スタッフが決めたのか? 運動方針の作成は組合員がしたのか、執行部がしたのか?

 

 組織化会話モデルの検討においては、誰が誰に話をするのかを問う必要がある。LNでは、職場の組合員自身に自分の組合をリードし、その主人公になってもらうことを重視しており、お互いがどのように話をするかを学ぶ。仮に組合員同士が互いに話をし、要求課題を決め、集団的な行動の計画を立てることができれば、組織化のための会話の枠組みが変化する。組合員自身が積極的に組合の役割に関与すれば、お互いを既に知っており、運動方針はその会話の中から作られることになり、会話の枠組みが全く変わってしまう。オルグはもはや、自己紹介が必要な赤の他人ではない。彼らは同僚として関係性を構築していくのだ。

 

 「取引」ではなく「関係」を構築することは、マカリービーやSEIUのモデルでは言及されていない。これらのモデルでは、対話の目的は、労働者に何か行動に立ち上がるよう依頼をすることであり、同僚との信頼と共有された利益に裏打ちされ、新たな形で世界と関わるための共通の関心が存在する新たな関係を構築することではない。

 

 マカリービーは自分のモデルを、執行部が「今だ!」といったときに組合員を行動に促す「動員」とは区別しようとしている。動員モデルよりも彼女のモデルの方が組合員引き付けるという点では正しい。しかし、その違いは、組合員の層で言えば、一層分の違いでしかない。マカリービーのリーダーが要求を決める組織化モデルは、職場の他の組合員を動員できる中間管理職的組合リーダーを労働者が作り上げるようなものだ。全ての組合員が要求を出し合い、分析し、計画するというより深い民主主義のプロセスが欠けている。

 

行動を強化していく

 

 行動を徐々に強めていくことが、組織化モデルの最後の部分だ。ここでも重要な問題は、誰がそれを決めるかだ。LNのワークショップでは、現場の組合員に行動の全ての段階でのリスクを説明し、組合員がリスクを理解した上で、使用者に混乱をもたらす行動のレベルを決めるように訓練する。行動強化の段階を検討するには、常にパワー分析、集団的なパワーの構築と、労働者にその準備があるのか、そして行動を通じて労働者が変化していくのかを分析することが必要である。

 

ストライキについて話しあうワークショップの参加者

 

 マカリービーは、構造テストとは、組合員の参加と準備のレベルを見極めるために使われる一連の行動の強化のことだと語っている。構造テストの目的は、構造テストを利用して組合員を集め、ストライキをするために、組合員の中で大多数を組織するための行動を積み重ねることにある。もちろんマカリービーが、誰が行動を起こしているのかに着目すべきと主張していることは正しい。参加者の少ない集会は、強さよりも弱点を示すこともある。そして、ストライキに向かって運動を構築していくのであり、一足飛びにストライキができるわけでないことは自明だろう。

 

 構造テストモデルには、考慮すべき点があると考えている。私のこの考えは、米電気機械無線労組(UE)のオルグのマーク・マインスターとの対話の中で形づくられたものだ。彼はマカリービーのモデルについて、勝利できるという確証がある時に行動するという点に重点を置きすぎており、運動を拡大するため常に火を起こし続けなければならないと言っている。マインスターやジョー・バーンズなどは、このことが組合の労働官僚の警戒心を増幅し、広い意味での職場活動の燃えるような集団行動を、むしろ弱体化させることを警戒している。

 

 私たちの目標がパワーの構築なら、私たちが驚くようなところでパワーが成長する空間を作り出す必要がある。パワーを構築するのに必要なコントロールと、パワーの源泉としての労働者自身が支配することが必要であるという点には、矛盾がある。その矛盾が組合の中で解決するように、注意深く見ていく必要がある。

 

LNのモデル

 

 これまでの議論で明らかなように、あまりに多くの労働者教育者とオルグが、訓練と戦略を立てるときの基礎を省略している。要求がどのように特定され、誰が運動方針を作ったのかという質問は省略し、あたかも要求と行動の計画が完成しているかのように始めてしまう。その後の組織化の段階で、高い参加率の行動に結びつくかもしれないが、組合員と組合支部の中での構造的変化につながり、それが維持できるのだろうか。

 

 LNのワークショップでは、スタッフではなく現場の組合員から始めることを前提としている。誰が組合を動かしているか、パワーはどのように構築されるのか、ボスは組合を強いと思っているのか? それはなぜか、そうでないとすればなぜか? という質問を労働者にすることから始める。これらの質問で、労働者はパワーとはどのようなもので、組合が組合員自身の行動でパワーを行使しているのか、またそうでないのかを考えることを重視している。労働組合は労働者のものか、活動的か、労働者から遊離しているか、または官僚的なのか? 参加者は自分たちの組合がどのように機能しているかだけでなく、どのようにしたら機能するかについても質問される。

 

 その結果、しばしば参加者は「組合員が無関心で、忙しすぎて、恐怖に怯えて参加してくれない場合以外は、組合は強力な力を発揮するだろう」と言うようになる。私たちの前提は、個人が問題なのではなく、ボスが問題なのであり、職場の構造が恐怖、絶望、分裂、混乱が上司によって作り出され、私たちから時間を奪い、無秩序にしているということだ。ボスがどのように労働者を混乱させているかという質問を通じて、職場でパワーがどのように作用しているのかを探る。関係を構築し、ボスの撹乱を乗り越え、職場支配の構造を乗り越えるための可能性を探ることを呼びかける。

 

 最初の段階から始めるために、「良い課題とは何か」、「組織化すべき課題をどのように特定するか」という問題を探る。私たちの組織化会話は、課題や要求がわかる行動が計画される以前から開始される。組合員自身がお互いに話し合いながら、何を大事に考えているのかを定め、何が彼らを団結させるのか、何が広く、深く感じられるポイントなのかを決めていく。

 

 ここには、ほとんどの労働者教育や組織化モデルで十分に強調されていない重要な要素がいくつかある。一つには、労働者自身が自らの状況と職場の権力構造をよく分析することから始めることで、労働者は、自分の知識と能力を明確に認識することができる。誰かが代わりに決めてくれるものではなく、自分たちで自分たちのために決定するのである。

 

 さらに、組合指導部にすぐに報告されてしまう組合スタッフではなく、組合員は現場の組合員同士で話していることを前提とすることだ。そのような会話を通じて、組合員同士の相互信頼と理解が深まり、リスクに立ち向かうようになる。ともに問題を特定し、職場で労働者を常に分断させる恐怖、無力感、分断と混乱を克服していくのだ。参加者の数が少ないことに対する答えは、仲間への依頼ではなく、仲間に対して質問をすることに集中することだ。

 

 以前はLNの中でもパワーを評価し、問題を特定し関係構築した後にとるべき重要なステップを明確にしてないこともあった。行動を強化していくための計画に基づく「依頼」について、計画がどこで練られからきて、誰が依頼しているのかを曖昧にしたまま、一対一の対話にすぐに入っていた。労働者自身が話し合い、計画を立てるべきだと強調する組織化ワークショップにおいても、この組織化の重要な側面についてはっきりと明確にされてこなかった。組合員が一堂に会して分析し、要求を定め、行動計画を立てる中で、彼らの要求の中に存在する個人主義を克服することを学ぶ。権力に関するお互いの分析から深め、行動を強化していくための具体的な計画立案の段階に行くことができる。このような労働者の集まりによって懸念の共有と会話が行われるのであり、これこそが深い意味で労働組合民主主義が命を吹き込まれる瞬間なのだ。

 

どのように教えるかが何を教えるかであり、どのように組織化するかが何を組織化するかである

 

 私は教育を通じて労働運動に参加した。最初は高校で教え、その後大学の教員養成課程で教鞭をとった。私の教育実践は、2つの教育モデルについて言及した『被抑圧者のための教育学』の著者であるパウロフレイレに影響を受けている。

 一つは銀行型モデルで、教師が知識を持ち、それを一定の分量で受け身の生徒たちに与えるというもの。もう一つは、教師と生徒が世界を捉えるという課題を通じて、構造を理解し、その変革のために行動する問題解決型の教育だ。フレイレと彼の考えをさらに拡大した後継者から私が学んだ重要な点は、どのように教えるかが何を教えるかであるということだ。あたかも教師が知識を持ち、その場の生徒が知識を吸収し、確認するだけの存在とすれば、その授業のメッセージは、権力と能力の教訓であり、知識と権力を持つ権威について教えていることになる。

 

 この洞察は組織化戦略にも影響する。組織化する時、私たちは労働者に彼らの知識、権力、能力について何を伝えているだろうか? また労働者が組合を牽引し、職場を民主化する彼らの能力について何を伝えているだろうか?

 

 私が担当するLNのトレーニングでは、「みなさんがオルガナイザーです」と言って始める。資本主義の下での労働のゆがんだ側面は、それがいかに深く人間性を傷つけるかという点だ。尊厳があることで、労働者の自己決定と、民主的なプロセスを通じて職場と世界を変革するために行動する能力にコミットすることになる。

 

 労働者の尊厳と自己決定権を中心に据えることに異論を唱えるオルグはいない。問題は、なぜ私たちが民主主義と自己決定の能力に関する暗黙のメッセージが伝えられているかという点だ。求められるのは労働者が一緒になって議論し、発見し、決定することをパワー構築の中心的内容として最初に取り組むことだ。

 

民主主義はパワーだ

 

 新自由主義的な資本主義の危機が深刻化する中、米国の左派労働運動の指導者たちは、何をなすべきか、それから、危機の中で労働者階級を立ち上がらせる準備ができていないことを自覚している。どの分野に焦点を当てるか、どのようにパワーを行使するべきか議論が続いている。危機感と同時にある種の麻痺状態だ。この道で勝利できるという明確で直接的な答えがあれば、皆がそれに惹きつけられるのは明らかだ。多くの組合員が組織化について考え、そのスキルを身につけることはいいことだ。しかし、スタッフ主導のトップダウンモデルでは、労働運動を作っているとはいえない。

 

 労働運動は、組合員が集まって議論し、意見が異なる中で、問題を見つけ、解決策を特定し、ともに団体行動の計画を立てるという深い民主的プロセスに基づいている。私たちが構築しようとしている運動では、個人の見方を超えて集団への視点を持つことが求められる。

 

 集団の精神は、行動の中で発揮される。労働者がボスに向かって行進する、集会でシュプレヒコールをあげる、ほかの組合のストライキの支援を通じて労働者の力を実感するなどを通じてだ。直接的な団体行動は意識の変革の鍵だが、変革の作業は行進の前に、労働者が組織化の活動に取り組む中で、お互いを知ることから始まる。スタッフに「自分が組織される」のではなく、「自分たち自身を組織化する」のだ。

 

 スタッフはこのプロセスの一部でしかない。スタッフは組合員が考えた経験を共有しやすくし、組合員が集まる場所を準備し、民主的なプロセスになるように導くことができる。そして戦略的なアドバイスやこれまでの勝利の経験を学ぶ機会を提供するのだ。

 

 最も重要なのが、スタッフは、組合員の人間性全体とその尊厳の尊重を通じて労働者と関わり、またそうしなければならないということだ。資本主義の核心は、人間性と尊厳を奪っていくことだ。組織化は、その場にいる人間の尊厳に対する変わらぬ敬意を構築するスペースを作り出すことから始めなければならない。組織化でも職場においても、労働者は必要な行動を起こす計画の一つの部品ではない。組合員は運動構築の取り組みの主体であり、正義をもたらす世界の変革の主体だ。

 

労働者は同じ教室で学ぶだけでなく、共に学ぶ

 

 ジェーン・マカリービーの国際的なオンラインワークショップ=「パワーのための組織化」では、世界中から何千人もの労働者やスタッフの参加で、彼女の方法論を教えている。マカリービーの「フィッシュボール」という手法は、一部の参加者が課題について会話をし、残りの参加者がそれを聞くというもので、明日からでも是非実践したい手法だ。これは大人数のグループで達成するのが難しいレベルの学習を実現するものだ。

 

 しかし、これらのセッションが、有機的ではなく指示的なものなのか、労働者が一緒に知識を発見し発展させるのではなく、専門家の答えが提供されるものであるかについて、私は慎重に検討している。これまで述べたように、この方法論から得られる暗黙の教訓は、答えは自分自身の外にあるというものだからだ。

 

 LNのワークショップがうまく機能するときは、労働者が意味を見出し、行動を起こすための組織化をすることから開始される。組合の垣根を超えて、LNの2年に一回の大会や地域で行われる会議では、トラブルメーカーズスクールは労働者が集まり、ともに学び、教え合う機会となる。ワークショップでは、何をお互いから学ぶのかを中心に組み立てられている。より具体的には、「私たちは何をしてきたのか?」、「私たちがしてきたことから何を学べるか」という問いで構成されるのだ。

 

 

組合員中心主義の課題

 

 資本の大規模な蓄積と、金融化、労働力の不安定化、労働運動の弱体化は、世界の労働者にとっての喫緊の問題だ。資本主義的生産の中心部分における暴力と非人間化、人類と機構に、かつてない破壊的な影響をもたらしている。資本主義のもとでは地球は持続できない。私たちが差し迫った破壊の波を食い止めるために、今すぐ行動を起こす必要がある。

 

 労働者自身が作り出し、リードする活動を通じて、基礎からパワーを作り出していく草の根の組合員の戦略(Rank-and-File Strategy)は、勝利に至るストライキに向けて作り上げていく明確な道筋が見えにくいため、不満が残る。直面する巨大な危機を前に、民主主義と基礎的なパワーの構築には時間がかかるためだ。

 

 私たちは古い世界を終わらせるだけでなく、新しい世界を作っているのだと強調したい。私たちがどのようにたたかうかを、私たちが構築するのだ。組織化、たたかいを通じて、互いの社会的関係と知識を得る方法を変革し、自分と他の人との関係、世界との関係を作り変える。仮に私たちがこれらの関係の中に社会主義への展望をもつなら、それは組織化の中で明らかにされなければならない。直面している危機において、尊厳と民主主義に根ざした関係構築を目指すことは小さなことのように見えるかもしれないが、その小さな取り組みが可能性を生み出し、条件が揃えばより広い行動につながっていく。

 

 マサチューセッツ教員組合の委員長として、「たたかえば勝つ!」というシュプレで組合員を鼓舞した。これには戸惑う人もいるかもしれない。結局、私たちは常に勝つわけではなく、勝つとわかっているたたかいを選んでいるわけでもない。しかし「たたかえば勝利する」ということは、たたかうことで、集団的で、民主的で、深遠な尊厳と人間性を備えた活動の中で、私たちは勝利しつつあるということなのだ。それは私たちの組織化の中に存在し、私たちが獲得し、構築する中に存在するのである。

 

(翻訳:全労連国際局 布施恵輔 名取学)

※この投稿は月刊全労連2021年8月号に掲載された論文の完全版です

 

バーバラ・マデロニ 米国の進歩的労働運動の連携組織であり「LN」の教育担当でありオルグ。2014年から18年にかけて、「民主的な組合を目指す教育者」という左派コーカスから選出されマサチューセッツ教員組合委員長を務める。それ以前は同州内の高校で教え、マサチューセッツ州立大学アマースト校でも教鞭をとった。2018年2月に全教と民主教育研究所が主催した「教員への統制や管理の強化に対抗する運動の発展を目指す国際シンポジウム」にポルトガル、イタリアの教員労働組合代表とともに参加。

 

( 月刊全労連2021年8月号掲載 )

 

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【座談会】「忙しい労働者はくだらないキャンペーンには付き合わない」「10分間の始業時全員ストライキに効果はあるのか?」 耳が痛いのと同時に、たくさんの学びがある労働組合職員による座談会

座談会参加者

北海道勤医労 佐賀正吾さん
京都市職労 永戸有子さん
生協労連おかやま 内田和隆さん


編集部:この座談会では、ゆにきゃん(ユニオン・キャンプ)に参加をして、コミュニティ・オーガナイジング(以下、CO)に出会って、どのように運動に生かしているのかを中心にお話を伺いたいと思います。


 まずは自分がどのようにCOに出会い、どうやって組織でいかそうとしているのか、してきたのかということについて、お話しをいただければと思います。

 

「あなたにお願いしたいのは、人前で話すことじゃなくて、人前で話す人を探すことなんだよ」

 

佐賀:自分が働きだしたのって、高校を出て、就職できなくて、非正規で今の組合のある職場で働きはじめたんですよね。当時はすごい虚しさしかなくて、時給も870円で給料日前はもやしばっかり食べていて、「何者にもなれないなあ」っていう気持ちがすごい強かったんですよね。そんな中でなんとなく労働組合にも加入して、なんとなく毎日過ごしてたんですけど。


 組合の会議に出ると、委員長とか書記長みたいな人がぐいぐい引っ張っていて、リーダーシップをすごい感じて。学習会の講師をしたり、大会の切り盛りしている様子とかを見て、「いやぁ、こういうことはできないよなぁ」と思ってたんです。当時400人ぐらいの規模の支部の組合員だったんですけど、そのとき「役員やんないか?」って声がかかったんですよね。


 「人前でしゃべれないし、頭も悪いんで」と断ったんですけど、そこで声をかけてくれた堀内さんっていう先輩が、「あなたにお願いしたいのは、人前で話すことじゃなくて、人前で話す人を探すことなんだよ」ということを言われたんです。それで心がすごく軽くなったというか。「ああ、なるほどな。自分は何者にもなれないけど、例えば、弁護士にはなれないけど、弁護士と友達にはなれるよな」という感覚をもって。うちは単組で2800人いるんですけど、そこで28歳で専従になりました。32歳で書記長になって7年目になります。


 専従になって何をやりたかったかっていうと、「集団の力で変化を作りたかった」ということと、労働組合の力で自分が非正規から正規になれたので、「組合の力をもっといろんな人に知らせたい」いうことですね。それから組織化にこだわった活動をできないかなっていうのを思っていました。


 そんな中で、2015年に布施(全労連事務局次長)さんたちとオーストラリアに視察に行ったときに、COの手法で組織化している実践例を聞いて、それが東京でも学べるということでワークショップを受講しました。実行力のある労組にするっていうことと、力を集団化するっていうことが、COの学びとしてとらえているポイントです。

編集部:「集団的の力で変化を作りたい」、「実行力のある労組にしたい」というときに、活かせそうだと思ったポイントはどこですか。

佐賀:これをやるために一人ひとりとつながるみたいな、「関係構築」でしょうかね。その重要性を感じたのは、オーストラリアにおけるキャンペーンで、保育園で組織化して半年で8000人の組合員を増やしたという話を聞いたときに、「こういう実践方法があるんだ」って衝撃を受けましたね。だからいつか、札幌でやりたいと思っています。

キャンペンーン用の動画撮影をする佐賀さん

北海道勤医労 佐賀正吾さん

役員任せじゃない、主体的な運動をつくるチャンス

 

編集部:印象的な事例から学んでおられますね。次は永戸さん、お願いします。

永戸:私の場合は2019年の8月にCOJ(コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン)のフルワークショップに、市職労から3人が参加をしたんです。それが一番最初の出会いです。

 最初はあまり消化できなかったんです。でも、市職労でやっていた非正規職員の「ツナごえ(つながろう・声をあげよう)」のとりくみが思い起こされて、「これ私たちやってたやん」って思ったんです。「ツナごえ」は、2020年に公務の非正規職員が会計年度任用職員の制度に移行するにあたっての危機意識からとりくんだもので、2018年くらいから「こんなに制度が大きく変わるのを、当事者が知らないままいるっていうのは絶対あかんわ」って思って、当事者も入った4人ぐらいのチームを作って、知らせていくのにどんな形のニュースがいいかとか、どういうふうにしたらいいのかっていうのを、いろいろ言い合いながら作り上げていって。嘱託員全員に個別の送付をして、一方的に送るだけじゃなくって話も聞かな、っていうことで、組合員でない人も含めて職場ごとに説明会やって、来てもらったりとか。


 いよいよ制度が決められる大詰めの時には、そういう運動の中で出会った人たちにスピーチをしてもらおうと、人事課の部屋の前の廊下で正規職員も含めた集会をやって、そこで非正規の嘱託員の方が10人連続でどんどんスピーチをしていくっていう場を作って、人事課の担当者が壁越しに聞いているみたいな。そしてそれが、結果に大きな影響を与えました


 そういう中で当事者のすごい力を感じて、フルワークショップを受けたときに、私たちは本当に試行錯誤でやってきたけれども、それを理論化、体系化したものがここにあるんや! みたいな感じでの受け止めだったんです。だから私たちの運動と違うものじゃ全然なくって、必要なものだというふうに受け止めました。


 そのあとに介護保険の嘱託員の業務委託と、130人の雇い止めの方針が出されて、それに対する運動の中でも当事者からは雇用に対する思いと業務に対する誇りっていうのが話の中ですごい出てきて、それをアピールすることで、介護事業者であったりとか、いろんなところにも賛同が広がっていくっていうのも経験をしていて。そういう2つの運動から、当事者抜きで運動っていうのはありえへんなっていうのは実感していたんです。


 そこから2021年かな、ゆにきゃんにコーチとして参加するようになって、COの全体像がより見えてきて。これは本当に組合で活かしていきたいなっていう思いがより一層強まりました。


 スケジュール闘争ってよく言いますけども、本当にどうこなしていくかみたいなことになりがちやし、どこまでそれがみんなの「これはなんとかしないと」っていう思いに基づいたものか確信を持ちきれない。そういうモヤモヤをCOのメソッドを使って見直せるかなって思ったんです。組職するっていうのは、組合に加入してもらうというだけでなく、運動を組織していく、大きくしていくっていう視点だとか、当事者の資源を活かすっていう視点がすごく大事だし。役員任せでみんな主体的に参加できないなあ、っていうところを変えていく大きなチャンスだって思いました。

京都市職労 永戸有子さん

編集部:実は先日、ある単産の中央執行委員会でCOの話と演習をやってみたんですが、委員長が「これ昔から先輩の頃からやってきたことだってことがわかった」と言ってくれたんです。「それを体系化したことがわかった」と。そういう発見っていうか、ひろがりがあるといいですよね。最後に内田さんお願いします。

 

制度を勝ち取るだけじゃなく、いかに当事者をエンパワーメントできるか

 

内田:自分の話をすると、例えば有休申請して、「友達の結婚式で、ゴールデンウィークに式があるから行きたいです」っていう申請をしたら、生協は祝日関係ないんで、上司が「いや、ありえんわ。わしが、自分の世代のときも、なんぼも断ってきたで」みたいなことを言われて、「ですよね~」って笑いながら引っ込めて、あとで別の職場の人にグチりまくるみたいな。


 一方で労組の専従の人は本当に華々しくて、春闘の方針とかを喋る時は、「正しいことをちゃんと堂々と言うんだ。いけんことはいけんって言うんだ」とすごくきらきらしてて、憧れてて。だから、入り口は強いリーダーシップへの憧れなんです。「正しいことができない自分はなんでダメなんだ」と思う一方で、労働組合の人たちは正しいことを言っている、そこに近づきたいと思って。「おお、来い来い」っていう感じで専従になりました。


 ただいざ専従になってみると、強いリーダーシップを体現したような組合だったわけです。執行部、書記局が強くて、そのリーダーシップで勝ち取ってきたと。ただ生協自体の売り上げが伸びない時期で、強い腕力で企業内交渉をしても勝ち取れないということが続いて。その中で問題を解決してくれない労組なんて意味がないみたいな声も広がって、かつての求心力がどんどん落ちていく状況に僕は飛び込んでいったんです。そんな中でどうやれば当時の先輩専従みたいに、びしっと言って、弁が立って、人を巻き込めるのかなって模索していて。


 そんなときにちょうど同世代の他県の労組の方々が、COについて語ってるのをネットでみて関心を持って、2016年にフルワークショップを受けたんです。その中で学んだのは、当事者が真ん中だっていうことと、関係構築ってこうやってやればいいんだ、一対一ってこうやってやればいいんだってことがわかったのが、一番最初の入り口かな。


 あと、人に心に訴えて共感を広げる、これを体系化してるんだっていうのがわかって、それに救われた感があって。「自分はセンスがない、どうやればいいんだろう」と思っていたのが、「手順があって、技術として後天的に習得できるんだ」と。「学べば成長できるんだ」と、すごく救われて希望になった。それが最初の気づきで。


 あともう一つは、どうやれば求心力を持ちながら組合運動をできるんだろうって思ったときに、ちゃんと話をして、みんなの要求をつかみ、要求化して団交していくっていうのを、対話をベースにみんなの気持ちを高めながら進めていく道筋が見えたことですね。


 例えば、有休の取得率を引き上げるためにどんなことをやってきたかというと、経営側に有休申請したら断るなと詰めて、「もちろんそうします」と言質を取って、「みんな、言質取ったよ。ちゃんと申請してね」と言って終わるんですよね。
 それはつまり、職場の力関係とか、申請できない精神的なものとか、そういう障害を取り除くことではなくて、制度で保障したからあとはよろしくねっていうことで、当事者のエンパワメントという視点がないんですよね。


 かつて自分は有休申請して断られて「わかりました」って言ってる側だったんですが、それが何が障害になっているのかを分析して、当事者をエンパワメントする必要があるんだと。強く叱咤すればみんなが取得するようになるんじゃないんだな、と。その発想で物事を組み立てなきゃなあと気付いてきたみたいな。

 

失敗と成功

 

編集部:ありがとうございます。 いろいろ聞きたいことはありますが、次は周りの変化も含めて、みなさんの周囲で起こっていることを教えてください。

 

佐賀:ぼくはCOを学んでオーストラリアも経験して、これはもう、早く日本の実践で成功させなきゃダメって思いがめちゃくちゃあって。結構失敗してるんですよね、キャンペーンを。例えばコンビニ店員を組織化しようとして、時給1500円にするんだっていう戦略的ゴールを勝手に自分が作ってしまって、それに合わせてコンビニを回って、組合員を増やすんだみたいな仮説をたてたんですけど、思いっきり失敗してしまって。


 メディアには出たんだけど、それだけみたいな。コンビニ店員の何人かと対話したんですけど、それ以上は広がらなかった。で、ちょっとこれダメだなと思って、しばらくチャレンジしなくなったんですよね。


 その後コロナ禍での労働相談で、子育てしてるんだけど、休校助成金を会社が使ってくれないっていう労働相談が3件くらい立て続けに来たんですよね。団体交渉をやるんですけど、会社が「絶対払わない」っていう感じで。じゃあどうする?といったときに、ふとCOのことを思い出して、「じゃあキャンペーン戦術やってみますか」みたいな感じになって。3ヵ月くらいの短期決戦で「子育て緊急事態宣言」っていうのをやって、実際に制度が変わったっていうのがあります。100人を組織して、ツイデモで「トレンドに入って制度を変えよう」っていう流れだったんですけど、その中で自民党の議員も動いたりして、制度が変わったんです。その経験はすごく大きいなと思います。 


 その流れでキャンペーン的にやるとこうなるんだっていうのが分かって、自分の単組でもストライキは効果的な戦術をとるようになりました。

 

編集部:なるほど。

 

佐賀:うちの組合は42ヵ所の支部があるんですが、その中の一つの支部が独自の要求で署名を集めたり、活発な取り組みをやっていて。そこは非正規の加入が続いていますね。


 今やってるキャンペーンでは、ケア労働者の4万円賃上げ署名を単組発でやったんですけど、オンラインで2万筆集まりました。それはもう提出して終わるんですけど、今後の動きを看護師の同志を4人集めて、夜な夜なオンラインミーティングをやってキャンペーンのタイムラインを作っているところですね。

 

COのメソッドは運動の進め方のよりどころ

 

編集部:ありがとうございます。続けて永戸さんお願いします。

 

永戸:はい。キャンペーンとしてやっていることと、ちょっとCOを意識している取り組みと両方をお話ししようと思います。まず、キャンペーンでいうと、今取り組み始めたのが、ちょっと画面共有をさせてもらいます(図1、2)。

図1

図2


 これは京都府職労連、大阪府職労、京都市職労の三者で立ち上げた「33キャンペーン」です。COJのフルワークショップで、そこに参加していたコアなメンバーが集まって、定期的に集まりをもってたんです。コロナでリアルな次の開催ができなくなったけれど、でも、せっかくつながっているので、COの実践に向けたトレーニングしたりということも含めて、集まりを持ってたんですよね。


 そういう中で、保健師の働き方がもう2年続けて長時間労働させられてきた実態に対して、何とかしたいっていうことがみんなの思いにあって、この「33キャンペーン」を立ち上げたんです。


 今年の8月までに、「公務だからといって青天井の労働時間っていうのは許されへん」と「規制をちゃんとさせろ」っていうのと、それには人員が必要なので、その財政措置を取らせようっていうのを目標に、オンラインも含めて署名を集めていこうっていうことなんです。そして、タイムラインも考えて。


 これも、それぞれの単組から2人ぐらいずつ出てチームを作って、オンラインの会議で4時間くらい集中してわーって作って。それ自体すごいなって思ったんですけども。今は5月15日のスタート集会が終わって次のところに向けて動いているところです。


 その集会に向けての話をすると、長時間労働で苦しんでいる当事者を意識して、保健師もそうやし、それから本庁の職員でもちょっと前に、公務の仕事にやりがいを持っていた若い子が、「こんな苦しい状況やったら、好きな仕事が嫌いになってしまう、それが辛い」みたいな話を聞いたことがあって、それをぜひ喋って欲しいなって思いました。結局その人は集会には出られなかったので代読してもらったんですけれども、彼女がいうには、自分の気持ちを振り返って文章化することで、その時には言えなかった、辛さとか自分の思いとかの整理ができて「よかったです。ありがとうございました」ってお礼を言ってもらえたんです。そういう当事者の力を発揮してもらうっていうことを意識したことが、本人にとってもよかったということも嬉しかったですね。


 これとは別に市職労の中で、保健師をつなぐことや保健師の働き方を改善しようとか、公衆衛生行政をよくしていこうっていう目的でキャンペーンをやっています。職場ごとにバラバラになっている保健師をつないでいくっていうことを意識してやっていく中で、保健師からの組合に対する信頼もすごく増えてきたように感じています。それは、新採さんへの組合説明会の時に先輩保健師が自信をもって組合のことを語る場面に出会うと、このとりくみが信頼されることにつながっているんだな、保健師を元気にすることにもつながっているな、と思います。


 あとは会議の持ち方を工夫しようっていうのに取り組み始めているところです。運動の方向性とか立ち位置については、自治体労働者でいったら民主的自治体労働者論がよりどころなんですよね。でも、その運動の進め方っていうもののよりどころはこのCOのメソッドかなっていうことを、常々感じているところです。

 

編集部:ありがとうございます。最後にキーワードで「運動の進め方のよりどころ」とありました。会議の持ち方の変化はどんなことを工夫してるんですか?

 

永戸:それまでは本当に報告中心で「意見ありませんか」…しーん。「じゃあ次に」みたいな。で、時間だけかかるみたいな。

 

編集部:あるあるですね。

 

永戸大阪府職労の小松さんに、どうやってますかって教えてもらいながらですね。報告はぎゅっと縮めて、みんなで話し合いたいことをしっかり定めておいて、小グループで意見を出し合ってもらうようにしたし、そんな中で自分自身の思いっていうのを出してもらいやすいように、工夫をし始めたところかな。まだまだですが、みんなが参加している会議になってきつつはあるかな。

 

10分間の始業時全員ストに効果はあるのか?

 

編集部:ありがとうございます。じゃあ次は内田さんお願いします。

 

内田ストライキの話がありましたけど、岡山の単組はストライキを構えてやっているんです。ただ事業と生協労働者は、生協運動を発展させる両輪だということで、事業を止めるようなことはしないというふうにしてきているんです。


 そうすると規模は事業に影響が出ないっていうのが基本で、例えば10分間の始業時全員ストを配置して、「それって意味あるの?」っていわれるんですね。直接的には意味ないですよね、だって経営的に止めないから。でも意味はあるんです、と。なぜなら、経営者がほかの県の生協の経営者から白い目で見られるから。ストライキもコントロールできないような労務管理してるのかっていうふうに見られるんです。

 

編集部:なるほど。

 

内田:そういう語り方をずっとしてきたんだけど、説得力がないなと思いながらも、ずっと言ってきたんですよね。そこでCOでは経営者が本当に何を欲していて、何が関心事項で、何を傷つけられると譲歩する余地があるのかっていうのを、パワー分析、マッピングでやるじゃないですか。その視点で考えたときに、「あ、そうか。生協の経営者っていうのは、生協の理念であるとか、社会的な企業であるということに誇りを持っていて、社会的名声が傷つくことが嫌だし、職員も社会的な企業であるということに誇りを持っていて、そうでない経営をされることがすごく嫌なんだ」と。で、「社会的企業じゃないじゃん、これって」っていうことを示していくと、経営者も嫌だし、職員も気持ちが離れていくと。職員の求心力を失っていくっていうことは経営者にとっても怖いんだということが、僕の中で整理ができて。つまり、10分のストライキでも、あるいは別のやり方でも、社会的な名声を傷つける恐れがあるっていうような行動ができる規模だったら、事業は止めなくても十分効果があるんだて考えたときに、スト戦術の自由度が広がったというか。


 執行部だけの指名ストで配達は止まりません、でも街頭にでますよ、と。「こんな暴利をむさぼって、職員に還元できんってひどくないですか」っていう横断幕を作りますよって。横断幕作って団交に持っていって「これでストしますよ」みたいなことをしてみるとか。規模じゃなくて効果的に配置すれば、相手の弱点をつけるんだってことがちゃんと整理ができて。そのことで一定の合意ができて、2018年に7年ぶりのスト決行に繋がりました。それまでは職場から「どうせ威勢のいいことを言っても、最終的に腰折れするんでしょう」と言われていたんです。


 もちろん職場にも相応の覚悟を求めます。指名ストで職場から一人抜けたら、その分みんな忙しくなりますよね。配達がちょっと遅れるとか、倉庫の人が抜けたりとかして。「こうこうこういう理由で、と話をしてもらわないけんよ」ということも言い、討議の形としてみんなにも覚悟を求めつつ、合意して、「よしやるぞ」っていうことでやった感じです。


 ただそれがCOで学んだことによる効果だっていうふうに思っている人はものすごく限られています。しかし、スト戦術が変化して、ストを改めてやる組織にはなったのと。ストには意味がない、ストなんてしんどくなるだけだと前向きじゃない人が多かったんだけど、今となってはどうやったほうが効果があるっていう議論が出てきたっていうのが、職場の変化かなというふうに思います。

 

忙しい労働者はくだらないキャンペーンには付き合わない

 

編集部:ありがとうございます。大変な変化だと思います。今後さらに活かしていくために、みなさん個人として、また組織として思っていること、全労連に対する要望も含めて最後にお願いします。

 

佐賀:あんまり焦りすぎないことだなとは思っていますね。やりたい気持ちにせかされるんだけれど。なんでそう思うかっていうと、専従者の仕事が何かっていうのを、オーストラリアに行った後からすごい考えさせられて。COのキャンペーンとも絡むんですけど、潜在的なリーダーを探して、そのリーダーとトレーニングをしてキャンペーンをやるっていうのは、本当に時間がかかるんですよね。焦らず積み重ねるしかないかなって。


 あともうひとつ、これもオーストラリアで聞いたことですけど、「忙しい労働者はくだらないキャンペーンには付き合わない」ということ。結果を見たときに、何でだろうって頭を抱えるんじゃなくて、このキャンペーンはくだらなかったんだって割り切るしかなくて。


 戦略から発信するようなキャンペーンは、同志が巻き込めないからやらないですね。例えば、サウンドデモやったら人が集まるんじゃないかみたいな仮説でやったとしても、なかなか実現しない。それよりも、同志の困難から出発するキャンペーンが力を持っているということですね。目的と手段がつながっていないものは、忙しい労働者には付き合ってもらえないし、意気が上がらないなっていうところですよね。


 それを考えたときに、最初の一歩がすごい大事だと思ってて。「これを実践するにはどうするか」っていうキャンペーン戦術。「何をやろう」っていうことじゃなくて、「誰と何をやるか」っていうことが大事で、その誰っていう人が出てこないうちはなかなかキャンペーンをやろうとしてもできないなあっていうのが実感なんですね。


 あと上部団体に求めるものはっていうことなんですけど、組織を再定義する必要があるっていうのはずっと思っていて。日本の労働組合って単組に権限があるので、上部団体があれやれこれやれって言ってもなかなか難しい側面があるので。もう上部団体は割り切ってトレーニング機関に徹するとか。本当に労組の全体を変えるんだったら、上部団体に妥結権限とかスト権が必要だし。ない現状の下では、トレーニングを保障する機関に徹するというのがいいのかなって。


 あとは、キャンペーンをやる組織に予算を付ける仕組みがあるといいなと思っています。大会とか、中央委員会はキャンペーンのプレゼン大会みたいになるといいんじゃないのかなって。そこでみんないいよねって思ったキャンペーンに投資しますみたいなのがいいんじゃないかな(笑)。

 

何度も学べる場を/「スケジュール闘争」にCOの手法を取り入れるには

 

編集部:第一歩を誰と何をやるかをみつけなきゃだめだということは考えさせられます。次は永戸さん。

 

永戸:COを学ぶ人を増やす、そういう場がたくさん欲しいな。全体を学んでいる人同士だからこそ、こういう手順で、この考え方は、という共通の認識でキャンペーンを進めていくっていうことができる、それは大きい。


 それから私は何回もコーチに行ってもわからんことがいっぱいあって、だから何回も学べる場が欲しいなあっていうふうに思ってます。それでいうと、コーチ養成のフルワークショップはぜひしてほしいと思っています。

 

編集部:ありがとうございます。これまでゆにきゃん参加者の交流会をやっています。お互い学べる機会として1回じゃダメという要望が強いです。深めたい人のチャンスはぜひ作っていこうと思っています。内田さんお願いします。

 

内田:苦い経験で言うと、なんかちょっと元気のいい若者が出てきたら、すぐに台本作ってメーデー発言してもらうとか、ただデモを歩いてもらって、みんなから認められたっていう感覚でどんどん引きずり込むみたいなのがあるじゃないですか。そういうことじゃなくて、ちゃんと覚悟をもって、ステップを踏んでもらうことが必要で。


 例えば団体交渉でちゃんと発言してもらえるように整えていくとか。団体交渉で経営陣と対峙するところで発言する前に、要求論議の時に模擬団交発言みたいなことをやって、覚悟を深めていく。そういうステップをどんどん作っていくことで、覚悟を持ち、リーダーシップを発揮してもらうっていうことが必要だと思う。それが一つ。


 もう一つは、上部団体にはありとあらゆるスケジュールでそういうことをちゃんと意識してやって欲しいなっていう思いがあって。一つの成功体験として、3月に県の春闘共闘の決起集会があったんですけど、そこでなぜ春闘をがんばるのか、なぜ労働組合が頑張っているのか、なぜ最賃を上げたいのかっていうことを、当事者が発言ができるようにしようとしたんです。いつもは単組でこんな労働条件を勝ち取ったといった活動報告が中心で、その職場のことを知らない人にとっては「よくわかりません」みたいなことになりがちで。ちゃんと思いを、当事者がなぜやりたいのかっていうことを、要は「セルフ」を発言できるようにしようよっていう問題提起をしたんです。


 その議論は県労の常任幹事会で昨年11月ぐらいからやってたんですね。10月末のゆにきゃんにうちの県労連の常幹、執行部も何人か参加していたので、こういう発言を作りたいんだ、こういうふうにしてほしいんだっていうイメージも伝わった手応えがありました。決起集会当日は、そのゆにきゃん参加者の一人だった保育士の方の発言が、ゆにきゃんの学びを活かしたセルフを意識したもので、それがすごく良くて。ほかにもうちの単組の女性が、自分の家庭環境も踏まえて勝ち取りたいんだっていう思いを話してもらったんですよ。それが呼び水になったのか、ほかの発言者の内容も良くて、それで感動的な「よしやるぞ」っていう空気になったんですね。


 10月の中国ブロックゆにきゃんによって発言できる機会が用意され、職場のリーダーとして頑張ってほしいって思う人を結び付ける舞台を整えることができたっていうことで、そういう連動性が今後も生まれてほしいと思います。

 

編集部:みなさんのお話で深まりました。今日は本当にありがとうございました。

 

全員:ありがとうございました。

 

( 月刊全労連2022年8月号掲載 )

 

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労働組合「全労連」のトップである議長が、なぜ 自ら #今からでも国葬中止を のTwitterデモを呼びかけたのか? 全労連議長 小畑 雅子

憲法共同センター第9回総会(2022年9月22日) 閉会のあいさつより抜粋

 

 閉会のあいさつをさせていただきます。全労連議長の小畑です。

本日はたいへんお忙しい中、憲法共同センター総会への参加ありがとうございました。

 

(中略)

 

 閉会のあいさつですので、少し、私のこの間の経験から思っていることをお話させていただきたいと思います。

 

 9月19日の代々木公園の大集会に連帯し、その日の18時から、「#今からでも国葬中止を」のTwitterデモを、私のツイッターアカウントから呼びかけました。多くの皆さんの賛同を得ることができ、21日の朝までに、36時間あまりで、23万ツイート以上が記録されています。おそらく、現時点では、もっと広がっていると思います(9/23の時点では53万ツイート強)。

 

 連合の芳野さんが、13日に「労働者の代表として国葬に参加」すると述べたとの報道があり、15日の記者会見において、「苦渋の選択として参加を決めた」と表明がありました。

 全労連は、7月22日に閣議決定撤回、国葬中止を求める談話を発表していますが、全労連の立場を明確にしたうえで、国葬」に反対する多くの労働者や市民の皆さんとともにできる行動を起こす必要があると思いました。

 

 Twitterデモをやってみて、今回の「国葬」が法的根拠もなく、国会審議もせず、閣議決定のみで行われようとしていることや、憲法19条が保障する思想・良心の自由を侵し、「弔意」や「敬意」までも押し付けようとしていることへの怒りが非常に大きいということを実感しました。

 

 同時に、私たちが、長引くコロナ禍や、長く続く低賃金、自公政権の経済政策の失敗による急激な円安、物価高騰などのもとで本当に苦しんでいるのに、その元凶である安倍元首相を、苦しみながら国民が収めた税金を使って、なぜ「国葬」しなければならないのか、ということに対する怒り、不信感、不満、これが大きく渦巻いていることを感じました。労働組合は、この労働者や市民の思い、要求に寄り添わなければならないと思います。

 

 もう一つ、Twitterデモをやってみて思ったことは、要求の当事者を組織することの大切さです。Twitterデモを呼びかけたのは私ですが、この呼びかけに賛同してくださった皆さん自身が呼びかけ人となって、どんどん拡散を始めてくださいました。例えば、私は、拡散に有効なバナーを作る技術はないので、Twitterデモを予告する最初の呼びかけツイートの中で、バナー作成、提供をお願いしました。ほとんど瞬時に、多くのバナーが寄せられました。それを拡散すると、その拡散した先で、さらに、新しいバナーが生まれる、この繰り返しの中で、多くの呼びかけ人が誕生し、さらに情報が拡散していきました。

 これは、ちょっと、わくわくするような経験でした。

 

 運動をすすめていくためには、要求を言葉にし、怒りや不満、悩みを組織していく過程が重要です。そのための、(この言葉がふさわしいかわかりませんが)戦略、戦術、を私たちが、練っていくということが求められていると思います。

 

 本日の総会も契機に、黄金の3年間どころか、岸田政権が追い詰められている、その状況を作り出した、多くの労働者・国民、市民の皆さんとの共同を広げ、大軍拡、改憲ではなく、いのち・暮らし守る政治への転換を求める運動を大きくつくりだしていくことを本日ご参加の皆さんと確認しあいながら、総会を閉会したいと思います。

 

 本日は、ありがとうございました。共に頑張りましょう。

保育園児の子育てと夫の母親の介護をかかえて大忙しの毎日。そんな真っ只中、ただでさえ忙しいのに、なぜ労働組合の議長職を引き受けたのか? 愛労連議長 西尾 美沙子

愛労連初の女性議長になって~等身大の私についてのお話~
愛労連議長 西尾 美沙子

 

はじめに

 

 昨年7月に愛労連の7代目で初の女性議長となった。愛労連事務局に着任したのは2月からの新参者。文書管理やパソコンの管理、物品の場所などまだまだ分からないことばかりで、事務局のみなさんに教えてもらっている状況だ。事務所のメンバーは男女半数という状況で、とても和やかに支えてもらっている。


 今日は等身大の私について話したい。はじめに議長になった経過、出身単産について、労働組合にも女性の参画をという点と、女性が参加しやすい組合活動に、ということについて話したいと思う。

 

労働組合に関わるきっかけ

 

 私の出身は愛知県医労連だ。1993年、大学を卒業して1年目の年に、瀬戸物で有名な愛知県瀬戸市の精神病院でソーシャルワーカーとして働いており、患者さんの人権が守られないということや、賃金の一方的な切り下げが行われ、労働組合が結成されて愛知県医労連と尾東労連に加盟した。その病院の院長は女性の医師で、労働組合をものすごく毛嫌いしており、診療のサボタージュや、病院長が組合員に組合脱退届を書かせるといった不当労働行為が続き、組合脱退が続くという状況がうまれていた。こうしたなか、組合を辞めなかった私を含めた組合役員5人に対して不当解雇がされたが、労働委員会や裁判闘争を行い職場復帰した。

 

時間が取れないなかで

 

 愛労連議長の話があった時は、子どもが保育園の年中になる子育て真っ盛りのときで、家には要介護2の夫の母親がおりで、とても引き受けられる状況ではなかった。しかし、労働組合への参画の敷居を下げたい、スーパーヒーローでなくても良い、もっと女性の要求や育児要求、非正規の要求などの労働組合活動を身近に感じてもらいたいという思いと、全労連で小畑さんが議長になったことにも背中を押され、議長になる決意をした。


 愛労連でも夜や土日の会議が多い実態がある。そうしたなか、愛労連四役の方が「私たちは単組の活動をして、産別の活動にも参加し、愛労連の活動にも参加して本当に大変なんだよ。10円ハゲができてるよ」と、率直に話してくれた。愛労連での役員の女性比率は14%で、1月の臨時大会、昨年7月の定期大会も女性代議員は18%にとどまっているのが現状だ。そうしたところを変えていかなければいけないと思っている。


 私自身もとにかく時間がない。本も新聞も読めない。Zoomで顔を見て、「何か変だな」と思ったら眉毛を書いていなかった日もあった。そんな慌ただしく、切れ目のない生活を送っている。

 

時間が取れないという女性の共通の問題

 

 私だけではなく、多くの女性は切れ目なく仕事や家事、介護などをやっていると聞いている。精神科で働いているときには、女性の患者さんが男性より多かったが、それは、女性の切れ目のない活動がうつ病を発症させていくのだという経緯を学んできた。
 

 女性の役員比率に努力している組合もある。名古屋市職労では、女性の役員比率は5割を突破し、女性だけではなく会計年度任用職員の方2人にも役員になってもらって、当事者が運動に参加するスタイルを確立している。愛知県医労連や福祉保育労東海地本でも、女性役員比率が5割以上となっている。


 女性の時間がない問題については、日本の置かれている労働実態を見て、労働時間短縮のとりくみや年次有給休暇の時間取得、有休取得促進、子どもの看護休暇や介護休暇の拡充、職場の理解や労働環境の改善を進めることが大切だ。女性だけでなく男性にもやさしい労働環境をつくることが大切だと思っている


 子どもが産まれてすぐのときに、日本医労連の中央執行委員をやっていた。大会や全国医療研などで託児所も設けてくれており、私の活動、学ぶ場を保障してくれた。そうした男性も含めた子育て中の方が参加しやすい環境を整えることは、労働組合としてもできることなので、とても重要なことだと思っている。会議の会場や時間帯、宿泊などの活動スタイルの検討などを保障しながら、組合活動に参加すると楽しいということをどんどん発信して、子育て中の人も介護などを抱えた人も「役員になって」と積極的に声をかけていくことが大切だと思っている。

 

ケア労働者の賃上げキャンペンーン

 

 愛労連として力を入れているのが、ケア労働者の賃金引上げだ。エッセンシャルワーカー大幅賃上げ・増員プロジェクトチーム(以下、プロジェクトチーム)をつくり、これまでに会議を5回開催している。そこでの女性参画率は37%だ。会議の女性の参加率が高まると、「参議院選挙でエッセンシャルワーカーの賃上げが餌にされたくない」、「いや。私たちはその餌すらもらっていない」などリアルで率直な意見が言い合える運営になっていくと感じている。女性の参画が増えると、会議が豊かになるように思うし、「メーデーでエッセンシャルワーカーのみんなに舞台に立ってもらおう」といった機動性のある運営になっていき、運動にもプラスになっていると思う。

 

エッセンシャルワーカー大幅賃上げ・増員プロジェクトチームのみなさんと取り組んだ名古屋駅前宣伝にて


 私が精神保健福祉士から愛知県医労連の専従者になろうと思った理由は、介護労働者の賃金や劣悪な処遇を、社会的役割にふさわしい条件に変えていきたいと思ったからだ。障害や高齢者、子ども、病気を持った人は、自分の気持ちを表現できない人もいる。そういう人たちの思いや願いをくみ取る、尊厳を守るケアの専門職だからこそ、働く人の尊厳も同様に大切だと思う。


 このプロジェクトチームは、自治労連医労連・福保労・建交労・生協労連の5単産で取り組んでいるが、一緒に会議に参加し、行動に取り組んで、それぞれの職業や組合への理解が深まり、愛労連への結集も強まったように思う。ケア労働にたずさわる人たちのやりがいと希望を、ケア労働にたずさわる人たち自身の言葉と行動で、より良く変えていくためにがんばっていきたいと思っている。

 

女性が労働組合の役員になる意義

 

 私が議長になり、周りのみんなが喜んでくれたり、知らない人が喜んでくれたり、かつて組合役員をやっていたという80代の女性が喜んでくれたりと、大きな反響があった。まだ実感として分からないところもあるが、女性に参政権がなかった時代のことを考えると、組織のリーダーに女性がなるというのは「そういうことなんだ」と感じている。女性が役職員になっていく、広げていくことが大切なのだということも実感している。


 私自身は自己肯定感が低く、大役の議長職がこれで良いのかという思いも常に付きまとっているが、事務所でこの原稿のことを話していたら、隣のベテランの先輩が、私が昨日の帰り際に、“今日のご飯何にしよう”とつぶやいたことに対して、「子育てをしながら組合役員をやって、大変な思いでがんばっていると痛感したよ。自分が子育てをしていた時のことを振り返ったよ」と話してくれた。思いを汲み取って今の私を認めてくれる仲間がいることがすごくうれしくて、涙がこみ上げてきた。労働組合活動は一人ひとりの生活や背景を思いやって活動していく、その人が等身大で活動できる、そうした関りを持って接することが大切なのだと改めて感じる経験だった。女性の役員が増えることで、相手の思いに立ち返ることが広がるのではないかと感じた。誰もがその人らしく活動できる組合活動は、より良く変える力につながっていくと思う。


 一人ひとりの組合員や社会を構成するメンバーが尊厳を持って生きられる、女性の参画が増えることで、人間らしく働きがいのある仕事と生活に繋がっていくし、私自身もそうしていきたいと思う。

 

さいごに

 

 まだまだ足りないことばかりだが、最賃の課題、非正規の均等待遇、エッセンシャルワーカーの賃上げなど諦めずに怒りを持って声を上げていく仲間とつながり、ビッグウェーブをおこし、要求実現までみなさんと一緒に頑張りたい。

 

 さいごに、7月の全労連大会でははじめての保育室を準備していただきありがとうございました。子どもと一緒に大会に参加する機会をつくっていただいたことに感謝します。全労連はあったかいと感激しました。子どもはセミとりや折り紙などができて、たのしかったと言ってます。

 

( 月刊全労連2022年10月号掲載 )

 

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多くの男性に読んでほしい。「ケアレス・マン」では許されない。労働組合での活動を週35時間に制限し、家事・育児との両立をはかる山形県労連事務局長の率直な感想と葛藤、そして模索。

ジェンダー平等と労働組合の新しい活動スタイルの模索
山形県労連事務局長 佐藤 完治

 

 山形県労連では、育児のため週35時間しか活動できない事務局長(筆者)を選出し、その中で様々な模索を続けてきた。それはたまたま、全労連ジェンダー平等の方針を太く打ち出すのとほぼ機を同じくしており、山形県労連におるジェンダー平等について考えるきっかけのひとつになってきた。本稿ではその経緯を概観しながら、労組専従を含む組合幹部役員においてジェンダー平等を貫くことに伴う課題、それはまた、当事者の要求実現エネルギーに依拠したボトムアップ型の運動へのシフトが避けられないものでもあることを試論しようとするものであり、2022年5月19日に行われた全労連ジェンダー平等学習会での特別報告に加筆したものである。

 

子育てしながら事務局長の任に

 

 私は現在54歳だ。山形県労連の事務局員になってから29年が経過し、2017年9月から事務局長になった。その直前に、長い不妊治療の末の妻の妊娠がわかった。いろいろ議論して、結局私が子育てをしながら事務局長の任に当たることを前提に、同年の役員選挙に立候補し信任された。その後、2018年の3月に息子が誕生し、同年11月から19年の1月までは、妻と交代して育児休暇も取得している


 妻は山形市近郊の民医連の診療所で医療事務をしている。この診療所の事務職員は3人で、うち1人は非正規の方。正規職員である妻は、週のうち2日から3日は残業になり、帰宅が7時過ぎになることもしばしばだ。月のうち2、3回は半日の土曜出勤がある。若干の持病があり、仕事のない土日や祝日は少し多めの休養が必要となる。コロナ禍にあって、医療従事者である妻の労働をサポートすることを期待されている、と考えざるを得ない。

 

ケアレス・マンでは許されない

 

 私の息子は現在4歳5ヵ月だ。保育園に行っている時間以外は、大人の目と手がまだまだ必要である。その役割の大半は、以上のような状況からして、必然的に私に課されることになる。いわゆる「ケアレス・マン」でいることも、事務局長だからといって時間無限定に活動することも、いずれもはじめから許されなかった


 こうした状況は事務局長に立候補する前から分かっていたので、私の勤務・活動は週35時間程度にとどめること、それを超える業務量により課題に遅延が生じることは容認してもらわざるを得ないことを、役員検討委員会で予め確認し、役員選挙があった定期大会では代議員にもその事情を報告した。実際に様々な課題が実行できなかったり、遅れたりしている。2ヵ月に1回程度の幹事会の他、原則毎週1回の事務局会議で当面の課題とその優先順位、専従議長や非専従ボランティアの役員、パート事務局員などの役割分担を確認して業務を進めた。さらに、子どもの発熱やコロナによる保育園の登園自粛要請などに即応して、臨機応変に優先順位や役割分担を変える、あるいは特定の課題や会議を取りやめるなどのシフトをしてきた。


 フルタイムで、ある程度の残業や休日労働も含めて活動できる事務局長の後任を探すことは、山形の現状では容易ではない。それどころか、加盟組織からの組合費の納入人員も減少が続き、役員の高齢化も進んでいる。

 

一人の百歩より百人の一歩

 

 今後は親族の介護や、私自身の加齢に伴う体力の低下に応じた活動時間のさらなる調整も求められる可能性がある。事務局長が週35時間しか活動できないことを前提とした組織的努力が、ジェンダー平等について検討する以前に必要とされてきたのだ。


 その基礎は「一人の百歩より百人の一歩」を貫くことであり、最低賃金近傍の賃金で働くシングルマザーなどの当事者を組織化するための努力や、幹事会内での役割分担、地域労連の活性化や空白地域での新規結成、日々の事務局運営の工夫が主な内容である。そして実はこれらの努力に、労働組合におけるジェンダー平等を考えるヒントが内包されているかもしれないと後で気付くところとなる。仮に上述のような私の家族の事情がなかったとしても、そもそもジェンダー平等の観点からは、私が事務局長の任務を制限してでも一定の家族的責任を果たすべきとの結論に至っていたはずだが、率直に言って、当初その発想はあいまいだったことは、告白しておくべきであろう。

 

趣味も含めた「自分の時間」は、子育てに向かうのに必要不可欠

 

 少なくとも私にとって、子育てにおいては、子どもと関わる時間はもちろん、ともすると単調になりがちな子どもとの膨大な時間の中で、子どもの微妙な変化に気付き、そこに子どもの成長を感じ取ることができるような知識や、そうした知識を得るための時間、そうした変化・成長を喜びとして味わう時間的ゆとり、保育士やいわゆるママ友・パパ友など他の保護者との交流が必要だった。さらに言えば、識者が「空気のように大切」とも述べている、親自身のための、趣味の時間も含む「自分の時間」も、子育てに向かうエネルギーを回復するため、子どもに対してイライラしたりせず、常にその発達段階に即した向き合い方・接し方ができるようにするために必要不可欠だと思われる。
 

 子どもの発達は保障されるべき子どもの権利である。社会や親の状況(経済力はもちろん、時間的ゆとりも含めて)など、偶然に左右されてもよいものではない。子どもは、忙しくて自分に構ってくれない親でも、その背中を見て育つ場合もあるだろうが、おそらくそこにも個人差はあるだろう。子どもの発達を保障する義務は、憲法上、国とともに親などの保護者にも課されていると考えられる。ただし義務だけではつらくなる。私たちには、何とか子育てを“こなす”だけではなく、子育てを喜びと感じる権利があるのではないか?その根拠もまた、憲法に求めることができるのではないかと考える。


 そして、こうした「自分の時間」もまた、子育てにも必要な権利として当然に請求可能なもの(国に対して、使用者に対して、さらには所属労組に対して)であり、労組専従者もその例外ではない、ということをしっかり内面化する必要がある。しかし、例えば私が子どもの迎えのため、まだ終わっていない翌日の街頭行動の準備を誰かに任せて16:30に退勤し、子どもと公園で砂遊びをしているとき、誰かが配布するビラを印刷して折ってくれている。私が風邪をひいた息子とエアコンの効いた部屋で過ごしているとき、仲間が猛暑の中で街頭行動に奮闘している。そうしたことを考えると、今でも時々葛藤を迫られる。だが、私が私自身の権利をないがしろにしたままで、自己責任を内面化させられた労働者に対する「権利の自覚と行使を」といった語りに説得力が備わるだろうか。少なくとも「自分が無理すれば何とかなる」という発想に留まることは、「一人の百歩より百人の一歩」の進展を遅らせはしないか。おそらくこの葛藤を引き受け続けることもまた、私の務めなのではないかと思う。


 週末を子どもと一緒に過ごすことは、貴重で幸福な時間でもあるが、完全な「自分の時間」、「自分の休み時間」にはならない。どの曜日よりも月曜日が一番疲れている。
 ジョン・レノンのように子どもが成長するまで仕事を休む条件はないし、SEKAI NO OWARISaoriのように「セカオワハウス」で仲間と子育てを共有するような、ある種の素敵な「共助」の展望も今のところない。公助としての「保育の充実」以外に方向性は思い当たらない。しかしだからこそ、もっと厳しい条件下にある保護者や、もっと保護者を助けて充実した保育をしたいと考えてくれている保育者と、要求を共有できるはずなのである。


 少なくない青年が、「子どもを持つのは贅沢」と考えさせられているとの報告もある。そこにも、まず徹底的に寄り添う必要がある。

 

当事者のエネルギーに依拠し土台をつくること

 

 労働組合ジェンダー平等にとりくむということ、特にそれを、労組専従者を含む幹部役員などにまで徹底させようとすることは、以上のような問題を伴い、あるいは労働運動の歴史の一部を積み直すくらい大きな課題であるが、しかしそれは避けられない課題なのではないかと思われる。そのための道は、全労連の「ゆにきゃん」などの手法も駆使して、個別具体的な要求を実現しようとする当事者のエネルギーに依拠した、ボトムアップ型の活動スタイルにシフトしていくことなのではと思う。


 ここには、仕事と家族的責任の「両立」を目指す条件があるかは疑わしい。いうならば、むしろ家族的責任を基礎にして、そこにある要求や課題を原動力としながら、運動と組織(労働組合の「仕事」)を再構築していく以外に道はないように思える。


 その過程で、もしかすると運動や組織は一時的にせよ、さらに後退するかもしれない。私たちの組織は、時にご家族をも犠牲にしながら、まさに自己犠牲の限りをつくして先輩たちが築いてこられたものだと思う。その歴史のすべてを否定するのは正しいこととは考えられない。


 しかし、山形県労連について言えば、そうした自己犠牲モデルによる運動を続ける条件は、もはや残されていない。どのみち、しばらく大きな前進が難しいとするならば、その過程にあってもしっかりと土台をつくる、次の飛躍を準備する、その決意、覚悟を固めることこそが、このタイミングで事務局長になった私の最大の役割なのではと思う。


 当事者の潜在力(エネルギー)の大きさを学ばせられた出来事が2つあった。1つめは山形最賃アクションプランの中で出会ったあるシングルマザーの姿。仕事と育児だけで超多忙。「日常、自分の時間は取れない」と断言しているが、それでも子育てに関する行政機関への要請や組合が提起した行動に積極的で「何かできることがあったらさせて欲しい」と言う。


 2つめ。2021年12月自治体キャラバン2022山形市要請には、福祉保育労のある保育園の分会から4人が参加した。独自に資料を準備して保育士の配置基準や処遇の改善の緊急の必要性を論証し「子ども30人に保育士1人で安全にお散歩に行けると思いますか?」と毅然と市長に迫った前進的な回答が一切引き出せなかったにも関わらず、当該分会の組合員からはその後、「また訴え方を考え準備して要求・交渉したい」など、諦めるどころかますます頑張りたいという趣旨の声も寄せられた。県労連は3月24日、山形地域労連とともに「保育士配置基準等改善運動」の文書を福祉保育労に示した。7月28日の同分会で、これに取り組むことが決議されるまで、自治体キャラバン要請から約8ヵ月。その間、保育士の欠員(園独自の基準に対する)にコロナ禍による困難も重なり、同分会の組合員は多忙を極め、分会内での議論や地本との意思疎通にも困難をきたしたが、それでも議論を続けて意思統一を勝ち取ったこと自体が極めて貴重といわねばならない。


 私見であるが、これらの例で示されているのは、要求が現実の労働や生活から切り離しえない切実なものであれば、そもそも要求を諦めるなどということは考えられず、何とか時間を作ろうとする力が湧いてくるということ、前進につながらなかった行動によっても力や団結が強まる、ということなのではないか。私には「週35時間しかない」境遇を逆手に取り、切実な要求はあるけれども時間はあまりない、というこうした人たちの日常を理解しつつ、会議の持ち方やSNSの効果的な活用など、こうした人たちが参加しやすい活動スタイルを積極的に提起し、あるいは議論していくことが求められていると思う。

 

保育士の労働条件改善と組織化をすすめ楽しく活動を

 

 山形県労連は、上述の保育士配置基準等改善運動の実施に向けて必要な協議を継続している。また9月の第34回定期大会では、「みんなで地域の運動を盛り上げ誰もが入りたくなる労働組合に」のスローガンで、地域労連のあるところでもないところでも、議論して重点要求・課題を絞り込み、その実現のため、加盟組織の組合員が力を合わせて組合員拡大に取り組めるよう方針の補強を目指す。合わせて、幹事会メンバーの半分、大会代議員の半分を女性にする目標で取り組む方向も示されている。いずれも、楽しみながら取り組めるよう、多くの方々の力を借りて大きな運動にしたいと思っている。

 

( 月刊全労連2022年10月号掲載 )

 

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