月刊全労連・全労連新聞 編集部

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【完全版】米国の進歩的労働運動における組織化=オーガナイジングの実践とその教訓 レイバーノーツ・オルグ・教育担当、マサチューセッツ教員組合前委員長  バーバラ・マデロニ

↑ 12/22~23に本稿を執筆したバーバラ・マデロニ氏を招聘し、公開学習会を開催致します。ふるってご参加ください。参加申し込みは下記のURLからお願い致します。

12/22:https://onl.sc/XVZkBXd

12/23:https://onl.sc/MMJdyV8

 

 私は本稿のなかで、米国におけるさまざまな労働者教育と組織化戦略について、それらの方法と実践が、職場と労働者の変化、パワー、ユニオニズムに関する多くの理論をどのように反映しているかについて考察したい。私たちが組合員をどのように教育し、組織化するかが、私たちがめざす組合のあり方と運動のパワーを支える能力を決定づけると私は考えている。

 

 オルグ、教育者、組合員、マサチューセッツ教員組合(MTA)前委員長としての自らの視点と経験をもとに本稿を執筆している。これらの立場から、私は解放運動としての教育が組合の組織化のなかにどのように具体化されるのか自問してきた。私のレイバーノーツ(以下LN)に関する理解は、私の労働者教育の取り組み、またオルグとしてのLNの現在の取り組みに基づいたものである。そのなかで、LNの出版物『Secrets of a Successful Organizer(『職場を変える秘密のレシピ』日本労働弁護団訳)』が開発したカリキュラムに基づいて、多くの取り組みを進めている。私たちは活動しながら、カリキュラムが前提とする事柄について定期的に議論し、その結果に応じて、取り組みを修正している。また私たちは、現在「ロング・カンバセーション」と名付けた新形式のワークショップを開発中である。このワークショップでは、参加者を集めて、日々の経験を交流することから始め、会話のなかで問題点を特定し、パワーを評価し、職場の仲間を集め、団体行動を起こし、その行動を総括し、その後、新たな取り組みを開始する。多くのストライキオルグとして関わったジェーン・マカリービーの知識とサポートは、マサチューセッツ教員組合における私の活動になくてはならないものだった。また彼女の著述やその活動への論評を読み、彼女の最新のワークショップ「パワーのための組織化」にも参加した。

 

 私の意図は、私たちが組織化=オーガナイジングの基礎とすべき基本原則をよりよく理解するため、私が経験し、使用した方法を精査することにある。置かれた状況が異なるなら、求められる対応と方法も異なる。とはいえ、選択に際して私たちが考慮すべきことは、現在置かれている状況だけでなく、最終的な目標をどう描くかだ。それよって、対応と方法が左右されるのだ。

バーバラ・マデロニ氏

 

背景:組合組織率の低下と 組織化の課題

 

 米国の労働組合員数は、ここ数十年減少し続けている。2019年時点の組織率は、労働者の10.3%だ。組織率低下の理由には、企業、政治家、裁判所によるメディアに支えられた一斉攻撃がある。組合員が減少するにつれて、非組合員と組合員を分断することが容易になった。労働法によって組合の組織化はより困難になり、強力な武器であるはずのストライキによる連帯の力が弱くなった。いわゆる「労働権」法によって、交渉で獲得した団体協約による恩恵を受けるために労働者が組合費を払って組合員になる必要がなくなり、組合は組合員の拡大、維持がより困難になった。

 

 米国において組織化の際に組合が直面する困難は、アマゾンの倉庫労働者や、いわゆるギグワーカーを組織する最近の取り組みに示されている。アラバマ州ベッセマーにあるアマゾンの物流倉庫の労働者の中に、かつて鶏肉加工場で働いていた経験のある元労組員がいた。この労働者らは、小売・卸売・百貨店組合(RWDSU)の地方支部に組合を結成するための手助けを求めた。組織化の取り組みは、メディアによる宣伝戦やバイデン大統領など政治家が支援に入るなど8ヵ月に及んだが、最終的に組合結成反対が賛成を2倍上回り、組合の認証選挙は敗北した。

 

 それ以来、多くの組合オルグやジャーナリストがこの敗北を分析している。オルグカリフォルニア州立大学バークレー校(UCBA)レイバーセンターの上級フェロー、ジェーン・マカリービーは、論評のなかで、会社によるデマ情報や恐怖を植え付けるキャンペーンに労働者が耐えうる構造の構築、またその構造テストにRWDSUのオルグが失敗したことを非難した。その代わりに彼女は、労働者のリーダーを特定し、職場をマッピングし、労働者の参加を評価する「構造テスト」と彼女が名付けた一連のプログラムを紹介した。

 

 また別の人は、組織化の取り組みの弱点を目の当たりにするとともに、法律の抜け穴を利用してアマゾンが労働者を脅迫したことに注目した。アマゾンは会社主催の全従業員集会を開き、オルグが労働者に近づくことを制限するなどして、労働者を震え上がらせた。アマゾンは、郵便投票用紙を投函する倉庫敷地内にある、米国郵政公社の郵便ポストを監視するなどの違法行為にも及んだ。しかし、アマゾンのシステム全体のなかでひとつの倉庫を組織しても無駄だという懸念は、当初から存在した。なぜなら、仮にひとつの倉庫を組織化したとしても、巨大資本であるアマゾンは、その倉庫を閉鎖し、どこか別の場所に新たな倉庫を開設するからだ。

 

 ベッセマーにおけるアマゾン労働者の組織化の失敗は、私たちが直面する多くの課題(戦略的思考の欠如、脆弱な組織化スキル、一枚岩のアマゾンに立ち向かって勝利する方法など)を物語っている。私たちは、サプライチェーンのハブとしてのアマゾンの労働者を組織し、資本を打破する有意義なパワーを獲得しなければならない。しかし、それは手ごわい取り組みであり、戦略、スキル、潤沢な資源が求められる。

 

 米国の労働組合組織率を高めるためには、アマゾンの倉庫労働者の組織化だけでなく、現行労働法の適用を受けない数十万人のギグワーカーの組織化にも取り組まなければならない。労働組合はギグワーカーの組織化に手を付けているが、ライドシェア企業やデリバリー企業は、住民投票や法律を使って、組合による組織化を制限しようとする。昨年、カリフォルニア州のライドシェア企業は、州民投票に勝利し、ほとんど使えないような最小限の福利厚生を労働者に提供するかわりに、労働者の身分を個人請負業者にしてしまった。カリフォルニア州の組合は法案に反対し、1億8000万ドルを費やした。さらに悪いことに、ニューヨーク州では、2つの組合が議員と協力し、ライドシェア労働者とデリバリー労働者を名ばかりの「組合」によって組織される、通常とは違ったグループの労働者とみなす法案の制定を推進しようとた。

 

 この法案によって労働者は、最低限の福利厚生と引き換えに、加入する組合を決定する権利 (州が任命した委員会によって決定される)、すでに獲得した最低賃金、仕事の割り当ての決定方法に関するデータへのアクセス、州の失業保険へのアクセスなどを失った。この法案の内容がリークされたとき、労働者は激怒し、妥協しようとしていた組合でさえ、妥協をあきらめざるを得なかった。

 

 このニューヨーク州の例は、ベッセマーの組織化の失敗例とともに、組合指導部の失敗を物語っている。ニューヨーク州のケースでは、法案のリークにより法案を支持していた組合は、支持の撤回を余儀なくされたものの、そうした組合のリーダーらは、名ばかりの「組合」(せいぜい組合であることの意義を乏しい想像でしか語れない組合、ひどい場合は、実際にパワーを構築せずに、組合の組織率を高めるためなら意図的に労働者を誤った方向に導くことすら厭わない組合)と引き換えに、パワーを放棄する準備をしていた。カリフォルニア州ニューヨーク州の双方のケースは、ともに正式な組合指導部が適切な状況判断、労働者へのアクセス、連帯とパワーを構築する計画の立案に失敗したケースだと言えよう。カリフォルニア州のケースでは、組合は経営者のデマ情報キャンペーンに対抗する資源と資金を持っていなかった。この事実もまた、私たちが対峙するパワーの巨大さを暗示している。

 

背景:能力とパワー

 

 米国の労働運動の問題は、組織率の低さだけではない。誰がパワーをもち、どのように行使しているのかという「パワーの問題」でもある。昨年、米国労働運動は、パンデミックと民主的選挙の妨害という脅威に直面した。いずれの危機についても、いくつかの組合は重要な要求を勝ち取ったが、広範な集団的運動の組織化という、組合の持つ潜在的な力は発揮されなかった。

 

 パンデミックの初期に、ロックダウンにより店舗や企業が閉鎖されたとき、「いまこそ労働者の出番」という感覚があった。パンデミックは健康と安全に関する共通の問題をつきつけ、労働組合は組合や産業を超えてたたかうことができるように思えた。しかし、時が経過し、一部の大組合は、健康と安全、危険手当に関する要求を勝ち取ったものの、共通の要求に基づく労働者の組織化に向けて、全国組合は共通の動きを見せなかった。

 

 医療従事者、教員、バスの運転手、食料品店の労働者などの組合支部は、健康と安全を求めてたたかったが、全国組合の指導部は大統領選に夢中で、政治戦以外の広範な行動の呼びかけに不慣れで、共通の要求に基づいて労働者を束ねることはなかった。客室乗務員協会(AFA)のサラ・ネルソン会長は、組合員を組織し、すべての労働者の広範な要求実現を訴えた、労働運動の数少ない希望の星の1人だ。

 

 パンデミックが猛威をふるい、労働者が自らと互いの身を守ろうとするなかで、大統領選挙運動は展開された。全国組合の指導部は、大統領選で打倒トランプに専念した。

 

 私たちの多くは、トランプが敗北しても大統領辞任を拒否するのではないかと危惧した。AFL-CIO(米労働組合同盟・産別会議) や、その加盟組合の多くを含む米国の全国組合は、トランプによるクーデターが起きた場合の対処について、自分たちの組合員ではなく、民主党の方ばかり見ていた。民主党がクーデターの可能性に興味を示さなくなると、組合のリーダーもそれに倣った。

 

 労働運動による民主主義を守るための行動を全国的に議論するため、組合のオルグとリーダーによる非公式のグループが作られた。「民主主義を擁護する労働者アクション(Labor Action to Defend Democracy)」は、毎週のネットワーク会議、リソースの共有、サポーターや地域のパートナーの行動を呼びかけた。ほとんどの全国組合は、民主党と足並みをそろえて、選挙後は集会を控えて解散するよう労働者に指示した。パンデミックと民主主義に対する脅威という双方の対応において、労働運動は驚くほど準備不足だった。私たちの弱点が露呈したのだ。

 

 米国の労働運動に関わるほとんどの人びとは、組合組織率を向上し、現在の組合員のなかで私たちのパワーを構築し、利用するために、何かをしなければならないと理解している。しかし、それらにどう取り組めばいいのかという方法に関する広範な合意は存在しない。本稿は、組織労働者のなかで、私たちのパワーをどのように構築し利用するかという問題に焦点を当てている。第一の問いは、私たちのパワーの所在をどのように理解するか、二つ目はどのようにそのパワーを作り出すか、そして三つ目にそのパワーを利用して何をめざすかである。

 

パワー=力

 

 米国の労働組合官僚は、40年以上にわたって、民主党との協調にパワーを費やした。州レベルでも、国レベルでも、民主党候補者を選挙で勝たせるために労働組合の金と時間は費やされ、労働者は常に失望させられてきた。

 

 2011年、ウィスコンシン州知事が団体交渉権を骨抜きにしたとき、当時のオバマ大統領は、労働者とともに権利を守ると約束したが、その約束は守られなかった。

 民主党が100パーセント約束を破っているわけではないにせよ、組合が立法化に焦点を置くときには、労働者は単なる有権者として脇に追いやられ、また労働者固有のパワー、すなわちストライキに訴える能力に目覚めることが妨げられる。

 この選挙政治への方向転換は、タフト=ハートレー法の枠内、団体交渉権を保証しながら、労働者によるストライキの行使を制限し、それによって、リーダーが他の場所にパワーを求めるよう仕向けている。パワーの中心は職場から組合指導部に移行し、その指導部は労働者を組織するのではなく、ボスや政治家に接近しようと努める。組合指導部は、労働者から孤立すればするほど、選挙による官僚主義労使協調にいっそう執着するようになった。

 

 組合が政治闘争による変革に焦点を置くことで、労働者は単なる有権者として脇に追いやられ、また労働者固有のパワー、すなわちストライキに訴える能力に目覚めることが妨げられる。パワーの中心は職場から組合指導部に移行し、その彼らは労働者を組織するのではなく、経営者や政治家に接近しようと努める。組合指導部は、労働者から孤立すればするほど、選挙による官僚主義労使協調にいっそう執着するようになった。

 

 組合指導部が組合員減少に警戒感をもっていても、焦点は依然として組合員拡大であり、職場の組合にパワーを構築することではない。ストライキは著しく減少した。現場の組合員は、組合をせいぜい民主党の手先、ひどいときは経営者と馴れ合って選ばれた、リーダーの地位に固執する官僚主義の集団と見なし、組合から離れていった。

 

 反撃しようとする組合はあるが、その多くは痛々しいほど態勢が整っておらず、たたかう力量が低下している。労働運動の打開のカギの一つは、「いかにして、再びたたかうことを学ぶか」である。勝利のために力量とスキルを再構築するには、私たちは何をなすべきか。問題の核心はパワーである。どこに私たちのパワーがあり、どうやってパワーを構築するか。パワフルな組合を構成するカギは何だろうか?

 

組織化モデル:決定的な問題

 

 左派組合のオルグたちは、「労働者が再びストライキする方法を学ばない限り、組織率を高め、効果的なパワーを獲得できない」という認識を共有している。私たちが組織化し、1対1の会話に取り組み、ストライキでたたかうという、私たちの能力を最大限活用できる態勢を整えなければならないということは、誰もが同意する。新たな組織化については、最も可能性のある部門はどれか、その部門を支配するフレキシビリティを武器にした巨大な企業体とどのようにたたかうか、などがテーマになっている。組合の組織化モデルに関する議論を表面的に見れば、みなめざすものが同じだと考えがちだ。しかしそこにはわずかだが、重要な相違点がある。

 

 ジェーン・マカリービーのモデルでも、LNの職場の草の根戦略組織化モデルでも、リーダーの特定、マッピング、段階的に拡大するキャンペーンという内容は共通している。そして、ほとんどすべての組織化モデルのなかに1対1の会話があり、その会話の決定的な要素は「対象者への依頼」だ。すなわち、具体的な行動への参加を組合員に依頼することである。マカリービーのモデルとLNのモデルは、交渉の公開を支持し、奨励する点で似ている。そして双方のモデルはともに、使用者とのたたかい=ストライキを強く支持している点で共通している。

 

 相違点を特定するために私たちが調べなければならないことは、組織化の教え方、組織化の対象者、誰がどの部分の取り組みの責任を担うのかなど、実際に起きていることである。そしてそれ以前に、どこから、誰を対象に組織化に着手するのかである。

 

組織化の出発点

 

 マカリービーは「パワーのための組織化」という国際的なオンラインワークショップで、問題の特定、対象者の氏名、要求の設定、段階的に拡大する行動などの準備がすでに終わった前提で、問題点、運動の計画立案、依頼といった組織化のための会話を実践するトレーニングを通じて学習し、自分のものにすることを、オルグは強く期待される。

 

 マカリービーが教える1対1の組織化会話は、6つのステップで構成されるが、どうやってここまで至ったのか? と私は考えずにいられなかった。誰がこの目標を重視することにしたのか? 誰が対象者を特定し、段階的に拡大する行動を計画したのか? どのようにこの取り組みは始まるのか? これは些細な問題ではない。どのように取り組みがスタートするかは、この組織化の行方に大きく左右する。

 

 組織化の取り組みは、組合員との会話をとおして問題を特定し、パワーを評価し、運動方針を集団で決定することに根ざすのか、あるいはリーダー、スタッフ、オルグの集団が問題と要求、運動の計画を決定するとすると、誰がそれらの計画を実行するのか? 前者の場合、労働者は、集団的に対象者を特定し、行動を計画し、ボスとたたかう行動をとおして変化する。後者は、労働者と距離を置いたところから始まって、労働者を事前に決めた計画に導くことに焦点を置く。それは動員力といった狭義の集団的パワーを強化するが、分析や計画を発展させる労働者のパワーを引き出すことを、最初から排除してしまう。

 

 マカリービーの著書『近道はない:新ギルド時代におけるパワーのための組織化(原題:No Shortcuts: Organizing for Power in the New Gilded Age)』の序文のなかで、彼女は組織化キャンペーンの立案の一部として、パワーのマッピングに組合員が関わることの重要性を述べている。しかしマカリービーのワークショップは、このステップを省略している。この省略は危険ではないだろうか。労働者自らが問題を特定し、計画を策定しなければ、組織化の手法がトップダウンになる可能性は大きく残される。このトップダウンの手法は成功するかもしれないが、労働者の自らに対する、また自らの可能性に対する自覚を生まない。組織化キャンペーンで導かれた労働者は、自らが「責任を担う」のでなく、次にすべきことを告げられるのを待つことになるのではないだろうか。

 

 どこから組織化に着手するかという問題は、多くの組織化ワークショップに共通する問題である。LNで私たちが、パワー分析からワークショップを始め、労働者に仲間を探し、その仲間とともに重要な問題を見つけるよう奨励している一方で、注意してきたのは、私たちオルグの側が、会話し行動を実践している労働者のグループを「飛び越してしまった」と気付くことである。問題を特定する方法からここにいたる私たちのワークショップのなかで、この「飛び越し」に気付くことこそが運動であると留意しつつ、私たちがより多くの時間をかけて労働者に考え抜くよう求めているのは、「課題が発生したとき、どのように労働者を結集して計画を立案するか」である。

 

 私はしばしば、協約交渉キャンペーン策定や、組合指導部改革支援のワークショップの講師をする。参加者の期待は常に、私がキャンペーンを発展させる具体的スキルと行動のステップを示すことだ。具体的スキルや行動のステップは勝利に不可欠だ。しかし、私が労働者と会話するうちに明らかになるのは、まだ労働者はお互いに会話しておらず、したがって関係構築がされておらず、みんなにとって何が重要な問題なのかを知らないということだ。経営者が私たちを分断するために利用する、恐怖、分裂、無力感を克服するための信頼を構築できていないことだ。信頼し合い、互いに傾聴し、共同による計画立案などの基本的要素が欠けていると、運動には勝利できるかもしれないが、変革の力を秘めた未来の勝利─すなわち、意識を変革し、世界に開かれた広い展望をもった可能性のある勝利─に向けた基礎を固められない。決して焦ることなく、これらの基本的な段階を省略しないために、訓練と明確な目的が必要である。

 

誰がパワーを評価するのだろう

 

 組合の組織化に対する期待が、パワーについて組合員を教育すること(例えば、誰がパワーを持っているのか、どのようにパワーを労働者のために利用するのかなど)であるなら、組織化の側面は、職場内のパワーの構造を明確にすることを盛り込むべきだ。理想を言うなら、職場内のパワー(権力)の構造に、資本主義がどう反映しているかを盛り込むべきである。左派オルグにとって現在進行形の課題は、どこで労働者の政治教育を行うかだ。

 

 例えばCWA(米通信労組)など一部の組合は、講義、ブックレット、討論をとおして、参加者が経済的、人種的正義を検証するワークショップを発展させている。米国にはほかにも、職場や組合などにおける人種差別に関する組合員教育に取り組む組合も存在する。これらは独立したワークショップであり、通常は、一般的な教育プログラムを利用してテーマを掘り下げる。組合の改革に取り組むグループや一部の組合は、組合員の政治的な分析力を発展させる手段として、読書会を開催している。

 

 パワーの最も明確な教材は、経営者・ボスとのたたかいである。このたたかいのなかで、労働者はボスがとる行動を目の当たりにし、労働者の集団的パワーに目覚める。組合員が交渉に参加し、交渉のテーブルでのボスの行動を目撃し、団体交渉の枠組みでボスに対峙したとき、組合員は「経営者対団結した労働者」という、双方のパワーの相関関係を理解する。それにより自分たちがパワーを持っていることを自覚し、それが職場と社会をいかに変えうるかを知る。

 

 しかし極めて重要な点は、公開交渉は実際の交渉開始前から始まっているということだ。組合員が会話や議論をとおしてともに要求を練り上げるとき、まず組合員自らが、集団的利益のためにたたかう集団であることを知る。組合員は民主的なプロセスに基づいて行動するリーダーになる。組合員が会話をとおして練り上げた自らの要求を携えて交渉のテーブルに着き、ボスがその要求を拒否したとき、組合員は個人として拒否されたのではなく、集団として拒否されることを経験する。集団として行動することによって、労働者は自分たちが対峙するパワーの構造、すなわち「私たちvs彼ら」「労働者vsボス」、そして潜在的には「労働者階級vs資本家階級」という構造を理解することになる。

 

 マカリービーは、組織化の取り組みの一環として、労働者がパワーの構造をマッピングする必要性を主張する。この主張は、労働者が社会的、経済的構造を検証する「生成テーマ」を特定する方法を学ぶという、パウロフレイレ的概念を反映している。しかしマカリービーの組織化ワークショップでは、いつ・どのように労働者がこのタイプの分析に関わるのかが示されていない。

 

職場マッピングのワークショップ

 

 LNの「ロングカンバセーション」のファシリテーターは、職場の問題を探し出すよう参加者を促す。職場の問題、誰とその問題を共有し、誰がその問題を解決するパワーを持っているかといった質問をとおして、参加者は自分たちの職場におけるパワーの作用を特定する。そのうえで参加者は、「変化をもたらすために、どうやって私たちは自らのパワーを利用するか」を深く考えるよう求められる。対話は、具体的かつ背景を反映したものになるが、さまざまな会話をとおして浮かび上がってくるものは、ボスが誰であろうが関係なく作用する、パワーの基本的構造である。労働者がどこにいようが、ボスの行動が変わらないことを労働者は理解する。議論は「私のボス」から「ボスたち」に変化し、新たな意識が芽生える。

 

 ワークショップのファシリテーターオルグは、パワー分析が生産的なものか、強要になるかを判断し、また労働者が知の生産者として、また行動する存在として、自らを認識する双方のパワー分析の影響を判断する。これは二者択一の判断である必要はないが、オルグは変革の活動強化に向けた方法論の影響に注意する必要がある。

 

共通するスキル:多様なアプローチ

 

 すべてのオルグオルグ訓練は、リーダーの特定、1対1の組織化のための会話、職場のマッピングと運動を強めることについて学ぶ。しかし、これらの組織化をどのように教えるかは異なり、その違いは現在進行形の運動やパワーの変容を左右する。

 

リーダーを特定する

 

 リーダーの特定に関する一般的演習では、ワークショップの参加者が5人の架空の組合員に関する情報から、誰がリーダーかを決めるよう求められる。その後、参加者は様々な答えを議論する。ワークショップでは、よく「リーダーはフォロワーがいる人」という一つの答えが出てくる。マカリービーにとっては、フォロワーがいるだけでなく、政治色が薄く、組合とのつながりが薄い人がリーダーなのだ。マカリービーにとって、リーダーは常に職場のリーダーであり、組合のリーダーではない。したがって、その人が他の人を導くためには、組合闘争に引き戻す必要がある。

 

 私が担当するワークショップでは、答えは一つではないが、学ぶべきことは、リーダーとは何か、そして何がリーダーの条件なのかについて考えることだ。多くのワークショップで、参加者は「間違った」人物をリーダーだと考えた理由を説得力をもって説明する。私はワークショップの参加者から、一人の人間が組合活動をリードし、参加する方法は多くあることを学んだ。そしてパワーを形成するために、誰もがオルグとして能力があることを知ることが重要なのだ。

 

 ファシリテーターは、「正解」にたどり着くことなのか、それともリーダーについての考えの探求をサポートすることが目的なのかを見極める必要がある。マカリービーのモデルでは、討論の後に参加者は正解が一つしかないと教えられる。この確実性に安心する人もいるが、組織化は化学反応ではない。組織化への道は一つで、ワークショップのリーダーが答えを知っていて、参加者はファシリテーターの言葉を受け入れるべきだと主張することは、労働者自身が自分たちのパワーのために組織化することに反し、権力と権威の関係を再生産することになる。

 

組織化のための会話

 

 1対1の会話は、組織化ワークショップのもう一つの要素だ。ほとんどのモデルでは、オルグの自己紹介、組合員の問題関心を質問し、その課題の問題点をあおり、解決の展望を示し、行動計画を述べ、組合員に何らかの依頼をするというフォーマットだ。「依頼する」のは、事前に決められている集団的な行動、例えば署名や集会の参加などだ。マカリービーなどのモデルでは、オルグが会話の中で言っていいこと、悪いことなどが厳格に定められている。オルグが組合員に彼らの要求を質問するときには、すでに事前に決められた計画にそれらの問題を接続させることが目標となっている。究極的な目標は組合員にその行動に参加してもらう約束を取り付けることだ。

 

 しかしこのモデルでは、行動を計画している課題をどのように決め、誰がその計画を立案したのか? という疑問が生じる。多くの組織化モデルは、課題から要求を選択したのちに、行動計画が策定される。このことで、組織化の初期段階から組合員が参加しているのか、という分かれ目を避けることができる。この段階を飛ばしてしまうと、私たちが構築しようとする運動の基盤がおろそかになる。

 

 オルグでは8割が聞くこと、2割が話すこととよく言われる。しかし、オルグが本当に聞く力の訓練をすることは稀だ。私自身のトレーニングでは、参加者に話を聞く練習から始めるのではなく、彼らに質問だけをする会話の練習をしてもらう。参加者がこの訓練を振り返ると、誰かが自分に耳を傾け、職場でぶつかっている問題について質問されることの力強さを実感している。質問によって自らの内面を振り返り、課題や要求の理解が深まり、孤独ではないという感覚になり、状況を変えるために他の人と一緒に立ち上がる準備ができる。これが将来の行動、組合員自身が問題を特定することに積極的に参加し、職場のパワー構造を分析し、行動計画を策定する基盤となる。

 

 これらの組織化戦略を分析するのに必要なのは、会話はどこで開始されているのか、という問いである。それは職場において、あるいは組合役員やスタッフとの話からなのか? 要求課題は組合員が決めたのか、スタッフが決めたのか? 運動方針の作成は組合員がしたのか、執行部がしたのか?

 

 組織化会話モデルの検討においては、誰が誰に話をするのかを問う必要がある。LNでは、職場の組合員自身に自分の組合をリードし、その主人公になってもらうことを重視しており、お互いがどのように話をするかを学ぶ。仮に組合員同士が互いに話をし、要求課題を決め、集団的な行動の計画を立てることができれば、組織化のための会話の枠組みが変化する。組合員自身が積極的に組合の役割に関与すれば、お互いを既に知っており、運動方針はその会話の中から作られることになり、会話の枠組みが全く変わってしまう。オルグはもはや、自己紹介が必要な赤の他人ではない。彼らは同僚として関係性を構築していくのだ。

 

 「取引」ではなく「関係」を構築することは、マカリービーやSEIUのモデルでは言及されていない。これらのモデルでは、対話の目的は、労働者に何か行動に立ち上がるよう依頼をすることであり、同僚との信頼と共有された利益に裏打ちされ、新たな形で世界と関わるための共通の関心が存在する新たな関係を構築することではない。

 

 マカリービーは自分のモデルを、執行部が「今だ!」といったときに組合員を行動に促す「動員」とは区別しようとしている。動員モデルよりも彼女のモデルの方が組合員引き付けるという点では正しい。しかし、その違いは、組合員の層で言えば、一層分の違いでしかない。マカリービーのリーダーが要求を決める組織化モデルは、職場の他の組合員を動員できる中間管理職的組合リーダーを労働者が作り上げるようなものだ。全ての組合員が要求を出し合い、分析し、計画するというより深い民主主義のプロセスが欠けている。

 

行動を強化していく

 

 行動を徐々に強めていくことが、組織化モデルの最後の部分だ。ここでも重要な問題は、誰がそれを決めるかだ。LNのワークショップでは、現場の組合員に行動の全ての段階でのリスクを説明し、組合員がリスクを理解した上で、使用者に混乱をもたらす行動のレベルを決めるように訓練する。行動強化の段階を検討するには、常にパワー分析、集団的なパワーの構築と、労働者にその準備があるのか、そして行動を通じて労働者が変化していくのかを分析することが必要である。

 

ストライキについて話しあうワークショップの参加者

 

 マカリービーは、構造テストとは、組合員の参加と準備のレベルを見極めるために使われる一連の行動の強化のことだと語っている。構造テストの目的は、構造テストを利用して組合員を集め、ストライキをするために、組合員の中で大多数を組織するための行動を積み重ねることにある。もちろんマカリービーが、誰が行動を起こしているのかに着目すべきと主張していることは正しい。参加者の少ない集会は、強さよりも弱点を示すこともある。そして、ストライキに向かって運動を構築していくのであり、一足飛びにストライキができるわけでないことは自明だろう。

 

 構造テストモデルには、考慮すべき点があると考えている。私のこの考えは、米電気機械無線労組(UE)のオルグのマーク・マインスターとの対話の中で形づくられたものだ。彼はマカリービーのモデルについて、勝利できるという確証がある時に行動するという点に重点を置きすぎており、運動を拡大するため常に火を起こし続けなければならないと言っている。マインスターやジョー・バーンズなどは、このことが組合の労働官僚の警戒心を増幅し、広い意味での職場活動の燃えるような集団行動を、むしろ弱体化させることを警戒している。

 

 私たちの目標がパワーの構築なら、私たちが驚くようなところでパワーが成長する空間を作り出す必要がある。パワーを構築するのに必要なコントロールと、パワーの源泉としての労働者自身が支配することが必要であるという点には、矛盾がある。その矛盾が組合の中で解決するように、注意深く見ていく必要がある。

 

LNのモデル

 

 これまでの議論で明らかなように、あまりに多くの労働者教育者とオルグが、訓練と戦略を立てるときの基礎を省略している。要求がどのように特定され、誰が運動方針を作ったのかという質問は省略し、あたかも要求と行動の計画が完成しているかのように始めてしまう。その後の組織化の段階で、高い参加率の行動に結びつくかもしれないが、組合員と組合支部の中での構造的変化につながり、それが維持できるのだろうか。

 

 LNのワークショップでは、スタッフではなく現場の組合員から始めることを前提としている。誰が組合を動かしているか、パワーはどのように構築されるのか、ボスは組合を強いと思っているのか? それはなぜか、そうでないとすればなぜか? という質問を労働者にすることから始める。これらの質問で、労働者はパワーとはどのようなもので、組合が組合員自身の行動でパワーを行使しているのか、またそうでないのかを考えることを重視している。労働組合は労働者のものか、活動的か、労働者から遊離しているか、または官僚的なのか? 参加者は自分たちの組合がどのように機能しているかだけでなく、どのようにしたら機能するかについても質問される。

 

 その結果、しばしば参加者は「組合員が無関心で、忙しすぎて、恐怖に怯えて参加してくれない場合以外は、組合は強力な力を発揮するだろう」と言うようになる。私たちの前提は、個人が問題なのではなく、ボスが問題なのであり、職場の構造が恐怖、絶望、分裂、混乱が上司によって作り出され、私たちから時間を奪い、無秩序にしているということだ。ボスがどのように労働者を混乱させているかという質問を通じて、職場でパワーがどのように作用しているのかを探る。関係を構築し、ボスの撹乱を乗り越え、職場支配の構造を乗り越えるための可能性を探ることを呼びかける。

 

 最初の段階から始めるために、「良い課題とは何か」、「組織化すべき課題をどのように特定するか」という問題を探る。私たちの組織化会話は、課題や要求がわかる行動が計画される以前から開始される。組合員自身がお互いに話し合いながら、何を大事に考えているのかを定め、何が彼らを団結させるのか、何が広く、深く感じられるポイントなのかを決めていく。

 

 ここには、ほとんどの労働者教育や組織化モデルで十分に強調されていない重要な要素がいくつかある。一つには、労働者自身が自らの状況と職場の権力構造をよく分析することから始めることで、労働者は、自分の知識と能力を明確に認識することができる。誰かが代わりに決めてくれるものではなく、自分たちで自分たちのために決定するのである。

 

 さらに、組合指導部にすぐに報告されてしまう組合スタッフではなく、組合員は現場の組合員同士で話していることを前提とすることだ。そのような会話を通じて、組合員同士の相互信頼と理解が深まり、リスクに立ち向かうようになる。ともに問題を特定し、職場で労働者を常に分断させる恐怖、無力感、分断と混乱を克服していくのだ。参加者の数が少ないことに対する答えは、仲間への依頼ではなく、仲間に対して質問をすることに集中することだ。

 

 以前はLNの中でもパワーを評価し、問題を特定し関係構築した後にとるべき重要なステップを明確にしてないこともあった。行動を強化していくための計画に基づく「依頼」について、計画がどこで練られからきて、誰が依頼しているのかを曖昧にしたまま、一対一の対話にすぐに入っていた。労働者自身が話し合い、計画を立てるべきだと強調する組織化ワークショップにおいても、この組織化の重要な側面についてはっきりと明確にされてこなかった。組合員が一堂に会して分析し、要求を定め、行動計画を立てる中で、彼らの要求の中に存在する個人主義を克服することを学ぶ。権力に関するお互いの分析から深め、行動を強化していくための具体的な計画立案の段階に行くことができる。このような労働者の集まりによって懸念の共有と会話が行われるのであり、これこそが深い意味で労働組合民主主義が命を吹き込まれる瞬間なのだ。

 

どのように教えるかが何を教えるかであり、どのように組織化するかが何を組織化するかである

 

 私は教育を通じて労働運動に参加した。最初は高校で教え、その後大学の教員養成課程で教鞭をとった。私の教育実践は、2つの教育モデルについて言及した『被抑圧者のための教育学』の著者であるパウロフレイレに影響を受けている。

 一つは銀行型モデルで、教師が知識を持ち、それを一定の分量で受け身の生徒たちに与えるというもの。もう一つは、教師と生徒が世界を捉えるという課題を通じて、構造を理解し、その変革のために行動する問題解決型の教育だ。フレイレと彼の考えをさらに拡大した後継者から私が学んだ重要な点は、どのように教えるかが何を教えるかであるということだ。あたかも教師が知識を持ち、その場の生徒が知識を吸収し、確認するだけの存在とすれば、その授業のメッセージは、権力と能力の教訓であり、知識と権力を持つ権威について教えていることになる。

 

 この洞察は組織化戦略にも影響する。組織化する時、私たちは労働者に彼らの知識、権力、能力について何を伝えているだろうか? また労働者が組合を牽引し、職場を民主化する彼らの能力について何を伝えているだろうか?

 

 私が担当するLNのトレーニングでは、「みなさんがオルガナイザーです」と言って始める。資本主義の下での労働のゆがんだ側面は、それがいかに深く人間性を傷つけるかという点だ。尊厳があることで、労働者の自己決定と、民主的なプロセスを通じて職場と世界を変革するために行動する能力にコミットすることになる。

 

 労働者の尊厳と自己決定権を中心に据えることに異論を唱えるオルグはいない。問題は、なぜ私たちが民主主義と自己決定の能力に関する暗黙のメッセージが伝えられているかという点だ。求められるのは労働者が一緒になって議論し、発見し、決定することをパワー構築の中心的内容として最初に取り組むことだ。

 

民主主義はパワーだ

 

 新自由主義的な資本主義の危機が深刻化する中、米国の左派労働運動の指導者たちは、何をなすべきか、それから、危機の中で労働者階級を立ち上がらせる準備ができていないことを自覚している。どの分野に焦点を当てるか、どのようにパワーを行使するべきか議論が続いている。危機感と同時にある種の麻痺状態だ。この道で勝利できるという明確で直接的な答えがあれば、皆がそれに惹きつけられるのは明らかだ。多くの組合員が組織化について考え、そのスキルを身につけることはいいことだ。しかし、スタッフ主導のトップダウンモデルでは、労働運動を作っているとはいえない。

 

 労働運動は、組合員が集まって議論し、意見が異なる中で、問題を見つけ、解決策を特定し、ともに団体行動の計画を立てるという深い民主的プロセスに基づいている。私たちが構築しようとしている運動では、個人の見方を超えて集団への視点を持つことが求められる。

 

 集団の精神は、行動の中で発揮される。労働者がボスに向かって行進する、集会でシュプレヒコールをあげる、ほかの組合のストライキの支援を通じて労働者の力を実感するなどを通じてだ。直接的な団体行動は意識の変革の鍵だが、変革の作業は行進の前に、労働者が組織化の活動に取り組む中で、お互いを知ることから始まる。スタッフに「自分が組織される」のではなく、「自分たち自身を組織化する」のだ。

 

 スタッフはこのプロセスの一部でしかない。スタッフは組合員が考えた経験を共有しやすくし、組合員が集まる場所を準備し、民主的なプロセスになるように導くことができる。そして戦略的なアドバイスやこれまでの勝利の経験を学ぶ機会を提供するのだ。

 

 最も重要なのが、スタッフは、組合員の人間性全体とその尊厳の尊重を通じて労働者と関わり、またそうしなければならないということだ。資本主義の核心は、人間性と尊厳を奪っていくことだ。組織化は、その場にいる人間の尊厳に対する変わらぬ敬意を構築するスペースを作り出すことから始めなければならない。組織化でも職場においても、労働者は必要な行動を起こす計画の一つの部品ではない。組合員は運動構築の取り組みの主体であり、正義をもたらす世界の変革の主体だ。

 

労働者は同じ教室で学ぶだけでなく、共に学ぶ

 

 ジェーン・マカリービーの国際的なオンラインワークショップ=「パワーのための組織化」では、世界中から何千人もの労働者やスタッフの参加で、彼女の方法論を教えている。マカリービーの「フィッシュボール」という手法は、一部の参加者が課題について会話をし、残りの参加者がそれを聞くというもので、明日からでも是非実践したい手法だ。これは大人数のグループで達成するのが難しいレベルの学習を実現するものだ。

 

 しかし、これらのセッションが、有機的ではなく指示的なものなのか、労働者が一緒に知識を発見し発展させるのではなく、専門家の答えが提供されるものであるかについて、私は慎重に検討している。これまで述べたように、この方法論から得られる暗黙の教訓は、答えは自分自身の外にあるというものだからだ。

 

 LNのワークショップがうまく機能するときは、労働者が意味を見出し、行動を起こすための組織化をすることから開始される。組合の垣根を超えて、LNの2年に一回の大会や地域で行われる会議では、トラブルメーカーズスクールは労働者が集まり、ともに学び、教え合う機会となる。ワークショップでは、何をお互いから学ぶのかを中心に組み立てられている。より具体的には、「私たちは何をしてきたのか?」、「私たちがしてきたことから何を学べるか」という問いで構成されるのだ。

 

 

組合員中心主義の課題

 

 資本の大規模な蓄積と、金融化、労働力の不安定化、労働運動の弱体化は、世界の労働者にとっての喫緊の問題だ。資本主義的生産の中心部分における暴力と非人間化、人類と機構に、かつてない破壊的な影響をもたらしている。資本主義のもとでは地球は持続できない。私たちが差し迫った破壊の波を食い止めるために、今すぐ行動を起こす必要がある。

 

 労働者自身が作り出し、リードする活動を通じて、基礎からパワーを作り出していく草の根の組合員の戦略(Rank-and-File Strategy)は、勝利に至るストライキに向けて作り上げていく明確な道筋が見えにくいため、不満が残る。直面する巨大な危機を前に、民主主義と基礎的なパワーの構築には時間がかかるためだ。

 

 私たちは古い世界を終わらせるだけでなく、新しい世界を作っているのだと強調したい。私たちがどのようにたたかうかを、私たちが構築するのだ。組織化、たたかいを通じて、互いの社会的関係と知識を得る方法を変革し、自分と他の人との関係、世界との関係を作り変える。仮に私たちがこれらの関係の中に社会主義への展望をもつなら、それは組織化の中で明らかにされなければならない。直面している危機において、尊厳と民主主義に根ざした関係構築を目指すことは小さなことのように見えるかもしれないが、その小さな取り組みが可能性を生み出し、条件が揃えばより広い行動につながっていく。

 

 マサチューセッツ教員組合の委員長として、「たたかえば勝つ!」というシュプレで組合員を鼓舞した。これには戸惑う人もいるかもしれない。結局、私たちは常に勝つわけではなく、勝つとわかっているたたかいを選んでいるわけでもない。しかし「たたかえば勝利する」ということは、たたかうことで、集団的で、民主的で、深遠な尊厳と人間性を備えた活動の中で、私たちは勝利しつつあるということなのだ。それは私たちの組織化の中に存在し、私たちが獲得し、構築する中に存在するのである。

 

(翻訳:全労連国際局 布施恵輔 名取学)

※この投稿は月刊全労連2021年8月号に掲載された論文の完全版です

 

バーバラ・マデロニ 米国の進歩的労働運動の連携組織であり「LN」の教育担当でありオルグ。2014年から18年にかけて、「民主的な組合を目指す教育者」という左派コーカスから選出されマサチューセッツ教員組合委員長を務める。それ以前は同州内の高校で教え、マサチューセッツ州立大学アマースト校でも教鞭をとった。2018年2月に全教と民主教育研究所が主催した「教員への統制や管理の強化に対抗する運動の発展を目指す国際シンポジウム」にポルトガル、イタリアの教員労働組合代表とともに参加。

 

( 月刊全労連2021年8月号掲載 )

 

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